新年明けましておめでとうございます。
新しい年が始まりました。
2009年、でもその年頭から先行きを不安視するニュースばかりが聞こえてきます。
今年は激動の年だそうです
そうかもしれません。
でもだからといって憂いていても仕方ありません。
起こってしまったことは既に起こってしまっています。
今年も全力でたくましく生き抜くこと、我々が出来ることは結局それしかありません。
そう思うことはないですか?
景気が悪くなったといっても、現実に紙幣そのもの物量が減ったということではないのですよね?
だとしたらついこの間まで、流通していたはずのその莫大なお金はいったいどこへと、忽然と消えてしまったのでしょう?
アメリカで、まったくの手つかず、ただの生のままの土地が、たった数ヶ月で数倍の価格に変わり転売され続けていたのは、思えばほんのつい最近のことです。
そして今価格は急落し、ただその土地だけは以前と変わらぬ生のままの姿でそこにあります。
何も変わってはいません。
そうです。土地自体はまったく何にも変わっていないのです。
整地すらされていません。
つまりは、その土地を誰も必要として買ったわけではなかったということなのでしょう。
何でも良かったのでしょう。
土地でも証券でも、何でも良かったのでしょう。
転売できるものなら何でも良かったのでしょう
何しろ当時は誰も商品なんか見ないでやり取りしていたのですから。
きっと商品自体には、誰も興味なんか無かったのでしょう。
興味の先はその価格だけ。
次にいったいいくらに化けるのか、、、、ただそれだけ。
それにしても、あの一連の騒動でいったい誰か得をしたのでしょうか?
日本は世界唯一の被爆国でもあり、また世界唯一バブル崩壊後を既に体験した国でもあります。
バブルで稼いだお金は身に付かず、そればかりか最後はそれで自らの首を絞めることになる、そのことをよく知っている国民です。
たとえば商品を高く引き取ってくれることは、生産者にとって好ましいことでしょう。
それは自分の仕事が高く評価されたということです。
だからそれはとても嬉しいことです。
でもバブルでの価格の高騰はそれを意味しません。
商品は何も変化していません。そもそもそこに仕事は存在していません。
前途したように、見ないで買うのです、つまりそのもの自体の価値なんてどうでも良いことだったのです。
だから誰も欲しくも無いものが、使いもしないものが、転売するたびにどんどん値が上がり、所有者が目まぐるしく変わっていくのです。
そのモノ自体の価値。
例えばすばらしい大根には良い値が付くように、願わくば価格とはそのようなものであって欲しいと思います。
良いサービス、良い品だから良い値であるというように。
生のままの、大自然の土地のままで、それがたったの一年で価格が数倍になる、どう考えてもこれは異常なことでした。
その土地を整備し、素敵な家を建て、周囲でもそういう家が数軒数十軒となり、やがて街自体の価値が高まり、結果一軒の住宅の値も上がる。
それが本来です。
何の付加価値もつけないまま、そのもの自体は何も変わらないまま、それなのに価格だけが上下する、そのことを異常と思わない、それ自体がやはり異常なことでした。
バブルは何も作らず、そればかりか人の心も、時には命さえも壊して終焉を迎えます。
結局バブルとは「イメージ」ということなのでしょう。
対象物は何ひとつ変化していません。
ただ我々の抱くイメージが、同じものを正にも負にも見せたということなのでしょう。
だとすればもうこれ以上イメージを負に傾斜させるような、不安ばかり煽るような論調はやめて、対象物の価値を高める仕事を始めていきましょう。
目の前のものを見て触って、それは本当にはいったいどれくらいの価値があるのか。そして更に価値を高めるためにどういう仕事を加えていったら良いか、、。
できればそうやって2009年を生き抜いていきたいものです。
あのお金はどこに行ったのか?
どこにも行っていません。
初めから無かったのです。
現実は目の前の、その生のままの土地だけです。
何一つ変わってなんかいません。
でも相変わらずいい景色です。
