数年前のピーク時に比べて約40%も減、、、何とそういう報道すらあるくらい、深刻な状況です。
それにしても40%とは、、、。
ただこの数字、イコール不動産会社の減少ということではありません。
あくまでこれは不動産業者についての数字です。
つまりは、、、“不動産会社に属して働いているハワイ州宅建者の多くが休業状態にあるということ”、、そういう報道です。
4年位前、、、一気にハワイの不動産業者が増えました。
昨日までカスコのレジ打ちをしていた人が、次の日からカハラでお客様の案内をしていた、何ていう状況はジョークではなく、事実ありました。
物件は次々に売れ、その後転売され、値はどんどんつりあがっていきました。
それに比例して業者が手にするマージンの金額も上がっていきます。
たった一つの物件の転売を延々繰り返して、その回数がそのままお金に変わっていったのです。
新しい物件の話があると、未完成のうちでも、設計図のままでも、買い手は案内される前に仮契約し、その後完成した頃には既に何人もオーナーが変わっていました。
今そういう物件の最後のオーナーになってしまった投資家たちの多くは自己破産の道を辿っています。
そしてそれを仕向けた不動産業者たちは職を探して奔走しています。
そもそもあちらの不動産業者たちは日本と違いサラリーマンではありません。
業者たちの多くは会社から給料をもらっていません。
逆にマージンや名義賃貸料のようなものを会社側に支払っています。
当然物件が売れなくなると会社にマージンも支払えませんし、それ以前に1セントたりとも収入がなくなります。
そういうわけで、この世界的な不況下において、ハワイの不動産業者の多くはその職を失っているということです。
とてもじゃないが専業ではやっていけません。
中には平日はスーパーやカフェで時給を稼ぎ、週末だけ抱えている物件のオープンハウスをして必死に営業活動をしている業者もいます。
でも物件はなかなか売れません。
不動産価格は落ちているので当然マージンだって下がります。
でも掛かる経費だけは、売れ残るほどにその日数分余計に加算されていくことになります。
しかも、平均物件価格の下げ幅が小さいと言われているハワイ不動産市場にしても、それを買う「バイヤー」自体が少なくなっているので影響は大きいです。
我々は、ともすると価格の下げ率ばかりに目に行きがちで、そして「買い手の減少」、そういう核心の事実についてはあまり知らされていないようです。
ここハワイでは、なかなか安くならない物件であるのに加えて、この極端に少なくなった買い手たちの心を掴むのは容易なことではありません。
それにしても、この一軒を何とか売り捌くためには、どれほどの週末をオープンハウスのために割かねばならないのか、、、。
それにオープンハウスの経費は全て不動産業者個人の自己負担です。
何人と商談しようと何人を案内しようとその時間給もガソリン代も属している不動産会社からは1セントも出ません。
全てが手弁当なのです。
おまけに、そうやって苦労してやっと売れた物件のマージンの数十%を属している不動産会社に入れなければなりません。
こうして今日もまた一人、兼業すら諦め、別の職を探すハワイの元不動産業者が誕生していきます。
不動産不況、、、。
状況は深刻です。
市場は、冷え込みを通り過ぎて、凍りついています。
今、日本の不動産会社の倒産件数は非常に大きなものとなっています。
それに比べて、ハワイの不動産会社はなかなか潰れていません。
ただ個人だけが流動していっています。
会社が従業員に給料を支払う日本の不動産会社。
時代と共に歩合という幅が大きくなってきたとはいえ、やはり日本特有の固定給という、決して大きくは無いけれどそれでも確かな「安心」がある組織。
その安心を守ろうと、組織のために多少の自己犠牲も仕方ない。
何しろ組織がなくなってしまったら元も子もないのだから、、、。
でも昨今のこの大きな波はその「組織」までをも容赦なく飲み込んでいきます。
安心は不安に変わり出していきます。
ブランド(もしくは信用)として名前を使用させてもらう代わりに、その使用代としてある一定のマージンを従業員の方から会社へと支払うあちらの不動産会社。
そもそもそこは稼ぐための武器を、使用料を支払って提供してくれる場所でしかありません。
今更、どちらのほうが良いシステムとか言うことは、もう無意味なのでしょう。
何しろ資本主義のパイオニアだったはずの国が、結果的に社会主義の手法を使い出す昨今です。
それにそもそも、全ては「景気」さえ良ければ、たとえばどんなシステムであろうと、官軍になり得る面を持っているのだろうと思うのです。
組織の「安心力」がどうであろうが、「ブランド力」がどうであろうが、腕と能力に自信がある人ならば、いつの世でもどんな社会でも「独立」を目指していくのでしょう。
それはアメリカだろうと日本だろうと同じことです。
だからその他大勢の人たちためにこそ様々な「システム」が存在するのだろうと思います。
しかしそのために生み出された「システム」にしたって、「景気」が悪くなればこの有様です。
結局のところ景気さえ良ければシステムなんて何だっていいのでは、、?
たとえば箸だろうがフォークだろうが食べること自体は可能なのです。
問題は食べるものがあるのかないのか、、、、今はそういう根本が揺らいでいる時なのかもしれません。
たとえば、「安心」をスローガンに組織が一致団結して、目の前の困難を跳ね返そうとしても、今日のそれはものすごく手ごわい相手です。
簡単に跳ね返され、組織の象徴だった「安心」はやがて不安と変わり、そして絶望へと移行してしまうかもしれません。
もしそうなってしまえば「組織」社会は音を立てて脆く崩壊していってしまうかもしれません。
そもそも「組織」を単位とする社会の問題点の一つは、ある組織が崩壊した後、そこにいた個人が別の既存の組織に入り直し、そこに再び溶け込むことにそれなりに手間隙がかかるということです。
独自のカラーの組織に新たに人を迎え入れることは、組織社会にとって慎重にならざるを得ないことです。
合うのか合わないのか、その判断はお互いに難しいのです。
一度や二度その人と会ったからといってなかなかその人の全てがわかるものではありません。
それならばいっそまったく色の付いてない人を入れ、後から自分たちの組織色に染めていったほうが簡単なのです。
そういうわけで組織社会では手垢の付いていない若い人を組織に迎え入れようとする傾向が強くなるのでしょう。
つまりは逆を言えば、組織社会とは一度組織を抜けたロートルが再び別の組織には入りにくい、そういう移動しにくい社会ともいえるでしょう。
現在のこの大不況は、とても強い力で、「既存の組織」を数多くどんどん崩壊させていっているようです。
居場所を失った個人がすごい勢いで増えていっている状況です。
安心の象徴だった「組織」が、そのシステムが崩れていきます。
その動きは十数年以上前からあったとはいえ、はっきり強制的に四の五の言えない状況下で今施行されたのです。
その色に染まった個人たちの多くが、組織ごと吹き飛んだのです。
ある一つのシステムが崩壊したのです。
個人の社会では、今日も自己破産者が増えていっています。
そして組織の社会では今日も、歴史ある既存の組織が崩壊していっています。
景気の波に、、組織が切られるのか、、、個人が切られるのか、、、。
兼業さえできなくなったたくさんのハワイの元不動産業者たち。
状況は深刻です。
ただ、だからといって全ての人たちが破産するわけでもないだろうし、ホームレスとなるわけでもないのです。
やはりたくさんの元不動産業たちは新たに職を見つけ、生活を向上させようとするでしょう。
そしてそこには当然今までに無かった職が生まれ、今までになかった生活の仕方も生まれるのでしょう。
組織がまるごと吹っ飛んだ個人たちにしても、じっとしているわけにはいきません。
生きていかねばいけないのです。
確かに一人一人は無力な個人です。
でもこれだけ数多くの組織が崩壊したのです。
これだけたくさんの色が消えていったのです。
いい面を見るならば、安心と同時に「閉塞」も吹っ飛んでいったのです。
間違いなく新しい何かが生まれるはずです。
それは何だかんだ言っても、「必然」からしか生まれ得ないものだからです。
我々は決して強くはありません。
でもだからといってそれ程やわでもないのです。