2012年02月06日

カリフォルニアからハワイ島へ

あと数ヶ月経つと、僕が日本に帰国してから丸10年になる。 

あっという間だったのか、いやいや意外と長かったのか、どちらとも言い得ない。 

改めて思い返すと、この10年いろいろなことがあったような気もするのだが、でももしかしたら、ただ時間だけが過ぎていった10年だったようにも感じる。 

確かに言える事は、今カリフォルニアは遠くに感じている、、、ということだ。  



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長く暮らしたカリフォルニアは、20歳過ぎに3ヶ月のアメリカ旅行でニューヨークからカリフォルニアへ貧乏横断旅行をして決めた地で、何としてもまた直ぐに再び行きたくて行きたくて、何としてもそこに住みたくて住みたくて、横断旅行の後帰国し即肉体労働をしお金を貯め、そしてもっとも安くに最も長期で取れる方法を探し何とかビザを取り、片道チケットでカリフォルニアへ渡り、張り紙とか噂話を頼りに仕事を見つけアパートメントを探し、そして何とかカンとか日々暮らしながら、途中ビザのこと、仕事のこと、住居のこと、もちろん毎日お金のことなんかの問題で、また振り出し戻ったり、もっと振り出し以下になったり、、、日々その繰り返しをしながらもますます好きになるカリフォルニアにしがみついて暮らした。

何が無くても、ただその土地で、そこで暮らしていることだけでも毎日が嬉しく、ノースビーチのカフェローマからドピオを飲みながらの喧騒と匂いと眺め、パシフィックハイツのフィルモア通りの天辺からマリーナを見下ろす坂道に、そこにただ立っているだけ、そんなごくごく普通の毎日の行動で触れるもの、感じるものが、ただ自分がその街の一部として存在していられるだけで120%幸せだった。

片道チケットでカリフォルニアへやって来て以来何年も帰国せず、そうしているうちに日々の習慣や行動も変化してきて、そのうち自分は一生アメリカで暮らすのだろうな、と確信しだし、でもそんなときにはふとビザとお金の問題で長く帰っていない日本への想いをふと募らせたり、それでもやはり今このカリフォルニアの地で出会った人たちとの関係、触れる文化、匂い、音、目に入る景色の美しさ、、、毎日が慣れない英語と仕事との格闘だったけど、今このとき仕事があり、拙くても英語を話せる相手がいる、そういう幸せをじっと感じざるを得なかった。  

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あの9.11の影響が、僕の帰国のきっかけにもなった。

もちろんそれは最終的に他の問題がいくつかからみあった結果ではあるのだけれど、でもやはり最後にこの事件が他の選択肢を極端に制限し、そして強く背中を押すことになったことは確かだった。  


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2002年の春僕は日本に帰国した。日本では日韓ワールドカップで大盛り上がりの頃だったと思う。

20代半ばの若者として渡米した僕は、この時30代後半になっていて、さてここから慣れない久しぶりの日本での再出発が始まった。 

情けないことに半年間ほどしか暮らせる貯金しかもっていなかったので、東京の郊外に安さだけを希望条件にまずアパートメントを見つけ、そして最寄の役所に海外からの転入届けを出した。

その後失効となっていた日本の運転免許を取り直し、幸い仕事だけはカリフォルニアでの最後の職場の先輩から紹介してもらった名の知れた新宿の一流ホテルへもぐりこむことができた。
 

生活面では案の定、浦島太郎となった。

道路の横断がまず怖い、いつの間にか車は左から来るものと身体が勝手に認識していたので、いつも意識して右を見てから横断する必要があった。
だから酒を飲んだときなどは、時にひやっとした経験はしばらく続いた。

見慣れない古本のチェーン店に入ると、店員のいらっしゃいませーの合唱と輪唱が、とても不快に感じた。

バスに乗るときに、他人を先に乗せようとすると、結局一番最後に乗る羽目にいつもなった。

食事をしての会計時に、さて、どうしたものか、と少しもたつき、ようやくレシートを持ってレジへ行くことを意識してやった。

レストランでのパンが有料で、しかもわざわざおしゃれな入れ物に、なぜかたった一口か二口でなくなってしまうほどの量しか入っていなくて驚いた。

ワインを注文するとソムリエに日本流の発音で訂正された。

「オールワンでお願いします!」という和製英語の意味がわからず、職場での意思の疎通にも戸惑った。 


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帰国して僕はその年に始めて日本の携帯電話を手にした。

それまでアメリカで使っていたのは通話だけしか出来ないタイプのものだったので、Eメール機能が付いていてとても驚いた。

僕がアメリカへ渡った頃はまだパソコンは一般的なものではなく、だから日本との連絡は手紙か電話しかなかった。

そして数年のうちには手紙はまず書かなくなり、引越しは頻繁だったので、相当数の日本での昔の知り合いとは以来疎遠となった。

でももちろんそれだけが原因ではない。

長いアメリカ生活は僕をはっきりと変えたのだろうし、そして日本での旧友たちも当然あの時の若者では皆なくなっていて、それぞれに社会で責任ある立場の大人へと変っていて、それぞれをとりまく環境や情況や感じ方が変っていき、それにより付き合う交友関係も変っていく、きっとそういうものなのだろう。
 


ともかく日本に帰国しての僕の人間関係のほとんどはまた一からとなった。

もともとが交友を広く求めるタイプの人間ではなく、どちらかというと単独で行動することを常とする性質があるので、寂しくはあるけど、耐えることには慣れていた。 

ただ時折くる、ジワリとした苦い想い、、、、、それはふと街中で英語が聞こえた時とか、映画で知った風景が映った時とか、そういう時に、帰りたいなあ、と念じて、その後に、もう諦めなさい、ともう一度言い聞かせ、そして何か他に気を紛らわせれるものをともかく必死で探す毎日だった。

景色以上に「匂い」は唐突で、突然鼻腔をやられ、苦しくなった。

当時アメリカでかいだ匂い、向こうでしかなかった匂い、具体的な場所や光景は思い出せないのに、しっかりとその匂いのことだけは覚えている。
古い家のペンキの匂いとか、倉庫の匂いとか、でも気候の違いなのか日本ではなかなかない匂い、でもそういうのが突然くるともうやられる。

後年ハワイへ仕事で行って、カリフォルニアでかいだ匂いのある空気の中にふと入り、いきなりやられた。。。。
でもそのときにはそこはやはり米国ハワイなので、寂しいではなく、懐かしいという嬉しい気持ちが先に来る。
  


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カリフォルニアでの職場の先輩に紹介してもらったホテルは一年を待たずに辞めた。

何としてもやはり「海外」に、できればアメリカに、少しでも近づく仕事がしたいと思った。

数ヶ月アルバイトでつなぎながら、宛てもなく、あるかないかもわからないけど、ともかくそういう職だけを探した。


そうしてようやくに見つけたのはハワイのロングステイを斡旋する会社だった。

日本でのサラリーマン経験もないまま既に30代後半になっていた僕だったけど、面接に行くときには必ずここに受かるだろうという確信を既に持っていた。

ほぼ根拠の無いただのはったり、ふてぶてしい自信というヤツだ。

海外へ行きたい人のサポート、、これはまさに僕の仕事ではないか、とその瞬間に何の疑いもなく、これは僕の仕事だ、そう信じて微塵も疑うこともなかった。 

結局スルリとその会社に入り、そしてその後今から5年前からは一人で、個人事業主となりこのハワイのロングステイの仕事を結局ずっとしている。 




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ハワイの他依頼されれば、アラスカもラスベガスも、テキサスだってする。

要するに、外国に関すること、日本に暮らす日本人のための外国(ただ僕は外国語は英語しか解さないので、そして何よりアメリカでのサバイバル生活体験に寄るものが多いので、やはりアメリカでの仕事が多くなりますが、でもアジアもアフリカも中東も、外国ならどこでもやってみたいというのが本音です。)に関することの依頼はほぼ断らずに受けてきているので、単に不動産の売買とか以外に、不登校の子供のための学校とか、法人立ち上げのお手伝いとか、それこそ契約書の読み方や、あるいは各種トラブルの相談とか、もしくはわがままいっぱいのオーダーメードの旅行のこととか、不動産投資のこととか、向こうの弁護士の選択からそのやり取りとか、向こうの役人との折衝とか、ただの運転手としてとか、ガイドとしてとか、現地でのお酒のお供とか(笑)、、、、要は海外のことなら、、、、何でも、、、、、僕が何でも、海外のことなら何でもやりたいのですね。

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やはり少年の頃から海外にあこがれていて、そしてお金を貯めて現実に行って住んで、もっと大好きになり、、、、そういうこともあって、その素晴らしさを、やはり僕と同様に、何だか理由もなく興味を持ってしまう、あこがれてしまう、、、、、でも少し怖い、、、、そんな人たちの少しでも力になることができたら、、、嬉しく思いますし、、、、それにはまず最初の一歩を一緒に踏み出して、その向こうにある、何よりあの言い知れぬ喜びを、是非是非知って、体感して欲しいのですね。  



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10年が経つと、確かにカリフォルニアは遠いです。

もちろん物理的には簡単に行けるけど、でもね、、、、。

なかなかにあの住み慣れたあの街には、やはりまだまだ行きたくもないというのも、、、正直な気持ちです。
(今仕事で時々LAには行くけど、そこから僅か1時間飛行機に乗って北上してあの街へ、、、は、どうしても躊躇してしまいます。)
ここまで月日が経ってしまうと余計、、、、うーん、、、、きっと行ってももう昔の面影がなくなっている場所の方が多いだろうし、何よりそこは自分が必死に生きた青春の場所なだけに、それだけ強い感情がある場所なだけに、、、、だからもし今行ってその景色を見て、あの強い感情がすーと消え、もしただ冷静に客観的にあるがままに受け入れることができてしまったら、、、、正直まだそれはいらない、、、、まだまだそれは少し寂しいのです。 


ほんの数年前までは時々東京の街で、何かのきっかけで、突然ぐっとこみ上げてきて、泣きたくなるような感情があったはずなのに、それが今はほぼ無くなっていて、、、そのときはこみ上げたものに寂しさと望郷とそういう気持ちで辛かったのですが、、今となるとそういう感情が消えていくというのは、それはそれで寂しいもののようにも感じています。


ただ我々は今こうして生きているわけで、生きているというのは、やはり忘れることと出会うことの繰り返しなわけで、、、、そう改めて思うと、今日という日の大切さを改めて思うし、今この時というこのかけがえの無い一瞬を、さてどうやって生きてやろう、と改めて思わざるを得ません。   

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ハワイのロングステイ、帰国してこの10年。

幸運にも僕はこの素敵な仕事に巡り会うことができ、その仕事を通じて、素晴らしき人たちに巡り会うことができている、やはりそのことに感謝です。 


海外、、、。うーん、やっぱりたまらない! 


思えば僕は自分の人生の大半を「海外」ということにずっと関わっているけど、、、、いまだにますますに、わくわくは尽きないし、ますますに、うきうきしてきます。 

あの景色、あの人たち、あの食べ物、あの気候、あの匂い、あの空気感、、、、あーもうたまりません。 


さあまたあの天国に行くために、さあ今日もはりきって仕事しまーす。


追伸:
ハワイの仕事をするうちに、ビジネスの面でも王道のホノルルから、、、、、、、、、、結果スコーンと惹かれたのが、ハワイ島。
それも豪華なリゾートのサウスコハラではなく、間逆のハワイ島東側のヒロ地区、プナ地区、、、。
こここそハワイ!これぞハワイ!スコーンと落とされました。
マウイに行ってカリフォルニアの面影を感じ、ホノルルで王道の気楽さ気安さ便利さを楽しみ、でもやはりハワイなら、おもいっきりリアルなハワイを、、、ハワイのプナ地区とかカウ地区が、、、うーん、たまりません!
でも会社に勤めていたときのようにそのまま独立後もホノルルをメインやっていればもう少しビジネスも上げ上げだったのでしょうが、、、、如何せん「好き」という感情にはどうも背けない性格のようで、、、、。


マハロ&アフイホウ 
笹本正明
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/


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posted by 海外ロングステイ相談室 at 10:05 | ホノルル ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | ○逆ホームシック

2012年02月29日

ハワイ島ロングステイを始めるとき

海外移住、もっと気軽にビザ無しでの長期滞在、、、つまり海外ロングステイ、、、。

夢や目的が既に明確で、あとはそこへたどり着くための方法。

いろいろな方法があるでしょうし、いろいろな入り口もあるでしょう。


踏み出してから途中で軌道修正することも当然多々あるでしょうし、そのうちにまったく別の道を通った末にやはり最初の場所に戻っていることもきっとあるのでしょう。

そして既に始めている人たちならご周知のように、最初に目指したはずのゴールそのものよりも、その道のりでの出会いや別れが、それこそが何よりのプレゼントで何よりも感慨となっていることも、これこそが実際の海外ロングステイの醍醐味なのかもしれません。 

何事もやってみなければわかりませんし、踏み出したからこそ初めて気が付くことはあまりにも多いです。


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海外不動産を購入する際、我々日本人の特徴の一つとして、まるでそこを終の棲家とするような感覚で選ばれる感があるように感じます。

しかし一方、例えばアメリカでは、不動産とは購入し、しかしそれは数年で売り、また他へ移る、というような感覚が自然にあります。(たとえばそれを後押しするように1031エクスチェンジという、売却後一定期間内に新しく住居用不動産を購入した場合、その売却時の税金の支払いは繰り延べできる、というシステムもあちらには普通にあります)


何より、アメリカではまともな不動産とは(※アメリカでは日本と間逆で、まともな不動産とは通常、土地ではなく建物のある不動産を指します)少なからず値上がりするもの、という感覚が根付いています。もちろんこういうのは須らく文化風習の違いでしょう。

もちろん私は投資や投機を煽るものではありません。逆に、値上がりということに関しては、あまり期待せずに、あくまで値上がりしたらラッキーというくらいに思うべき、という考えです。

でもそれでもせめて買ったときとほぼ同じには売れるような、そういう不動産を、せっかくそこがアメリカで、しかもそこがその中でも突き抜けてトップクラスのハワイである以上、そういう不動産を買うようにしないともったいないとは考えております。

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その際の選び方も、実はあまり難しいことはなく、ストリートの環境とか、ゾーニングとか、アソシエーションとか、あとは最低2寝室2浴室で、できればガレージは屋根付きで、もっと欲を言えばビルトインタイプで、、、その他にもいくつかありますが、ともかくそういう後々買い手をあまり特定せずに、またリフォームのしやすい(部品交換のしやすい)、そういう家だと何年経っても価値はまず落ちません。
 

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やはりアメリカで不動産を持つということは、そしてそれが特にハワイであるなら、せっかくです、あちら流に、不動産とは財産である、という感覚は持っていていいのだと思います。
 


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日本と違いハワイでは旅行者と不動産オーナーはその後が大きく違うものなのです。

旅行者のお金は戻りませんが、しかし不動産オーナーの場合はたっぷり楽しんで、でももしかしたらその後儲けまで出ている、、ということも十分あるのがハワイ不動産ともいえるのです。 



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何も初めから終の棲家を選ぶことに貴重な時間を費やすのはもったいない、、、、何も今すぐハワイのどこかの場所を永遠の場所とする必要はないのです。 




例えば最初は今背伸びせずに手に入れられる中での一番アファーダブルな物件を購入し、そしてそこで数年、現実のハワイ生活も実際に体験しながら、初めてまたいろいろなことに気づかれることもあるでしょうし、初めて自身の別の面が現れてくることもあるでしょう。


でもそういうのこそ現実に体験してみなければ分からないことです。
 



そしてその時に、またステップアップで、住んでいる家を売り、今度はカウワイへとか、いやフロリダへとか、どんどん可能性を広げてもいいのだと思います。 


逆に欲しい家が手に入るまで必死でお金を貯め、ようやく年齢的も老人の域に達してから、いざ!となった場合、現実に生活を体験していない以上、さて、どうなるか、、、、こちらの方が不安です。 


まずは閃いたところ、でももしそれが現実のバジェットと差があるようなら無理はせず、まずは今のバジェットでも可能なエリアで、そこでまずまずと思える、また同時に市場的にもアフォーダブルな物件があれば、きっと住めば都です、まずはやってみる、そういうことでもいいのでは、、少し乱暴な言い方かもしれませんが、でも事実そう思います。 


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とにかく長年様々にハワイのロングステイをされている方を見ていて思うことは、皆結局最後の最後は「エイエイヤー!」ということです。

何だかんだ言っても、やってみなくてはわかないということ、そしてやってみたら大変だけど面白いということ。

そしてそれを皆楽しげに誇らしげに語ってくれるということ、そして言われることは皆決まって、「もっと早くにはじめればよかった」ということです。  


マハロ&アフイホウ 
笹本正明
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/

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posted by 海外ロングステイ相談室 at 11:40 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○海外ロングステイの不安