2013年11月13日

チャイナタウン


昨今アメリカでは「チャイナタウン」が消滅の危機を迎えているといわれている。
 


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中国の経済が飛躍的に発展し、母国の生活水準が急速に良くなっている今、しかしそうなると昔のように、生きるために苦労してアメリカに移民して、、、そしてやがては中国から家族を呼び寄せて、、、そういうことをしていたかつてのハングリーな中国人移民の数が近年激減してきているという。 


おまけに近年アメリカ各地では「再開発」という名のもとに、ずっと手つかずだった雑多なチャイナタウンの周囲にまでどんどんこぎれいな高層建築が建つようになり、全米で名の知れたチェーン店の大型マーケットが次々に進出し、チャイナタウンの周辺地域、この街そのものを根底から変えていく。 




もちろん再開発は「悪」ではない。
 

ましてや、母国が発展していくことは非常に喜ばしいことだ。  



どんなきれいごとを並べても、どうしたって貧しいということは、つらいし、みじめな気持ちにだってなる。
  



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チャイナタウンは、
かつてそこは異国で生き抜くための唯一のツールとしての地だった。 



しかし母国の経済がこのままますます豊かになっていけば、もうわざわざ単身で家族のために米国くんだりまで片道切符で渡って行って、苦労を重ねた末にようやく念願かなって家族を呼び寄せて、、、なんて、そんな大変な思いをしなくても、もういい。   



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その昔まだ中国が今ほど発展していなかった当時、まだ香港が返還されていなかった頃、多くの中国人たちが米国各所のチャイナタウンを目指した時代があった。
 


それは希望に満ちたものとは必ずしも言えない。
とにかく食べるため。生きるため。家族のためだ。  



貧しいからこそ海を渡った彼らだから当然英語教育など受けていたはずもない。
だからやっとの思いで米国まで来ても、働ける場所は、受け入れてくれる場所はどうしてもチャイナタウンだけ。 



言葉、教育、ビザなどの問題で、ほとんど下働きのような単純肉体労働しかない彼らだったけど、それでも仕事があるだけまし。
仕事内容についてなど贅沢は言わない、仕事に充実など端から求めない。
もっと先の目的のため、仕送りを待つ家族のため、アメリカに呼び寄せるその時まで、安い時給なら、ひたすら働ける時間を目いっぱい増やす。金を稼ぐことこそが何より主眼なのだ。  



早く家族を呼びたい。本国でひもじい思いで暮らしている家族を呼び寄せたい。
そのためにはお金が必要。
何よりお金がなければ幸せにさせてあげることなどできない。食べさせてあげることなどできない。 


寝る間を惜しみ、時に別の外国人たちからは陰口さえ囁かれながらも、少しでも合理的に割高に金を稼ぐことを追い求め、やっと念願叶い、努力が実り、家族とともに暮らせる幸せを得る。 


ハングリーなのだ。  



嫌だったら、ダメだったら帰国すればいい。
そういう富める国から来た我々とはもともとの生きる地体力が違うのだ。   



そうやって寝る間を惜しみただただひたすら働きに働いた一世たちの場合、何十年いても最後までまともな英語を話せるようにはならない。何しろずっと単純肉体労働ばかりをしていて、ずっとチャイナタウンにいてその場所ですべてが賄えるのだから、いつまでも英語を話す機会も必要性もない。
そういう意味でも、当時のチャイナタウンというのは、ますますに独自の独特の文化とスタイルを極めていた。そこはアメリカでありアメリカではなかった。    



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しかしアメリカで生まれたその後の二世たちはまったく違う。 


彼らは親の期待を一身に受けアメリカの学校に入り親が受けられなかった高等教育を受け、同時に家とチャイナタウンでは厳しい中華の教育をも受ける。
彼らは流暢な英語と中国語を操り、チャイナタウンでもダウンタウンでもファイナンシャルエリアでも臆せず堂々とふるまう。
何しろ彼らはアメリカ生まれのアメリカ人、チャイニーズアメリカンだから。  



彼ら二世のチャイニーズアメリカンは、受け身でひたすら黙々と働いていた一世たちとは違い、今彼らは彼らの国アメリカの優秀な担い手だ。
発展著しい中国や香港、台湾などの情報やコネクションを追い風に、チャイニーズアメリカンである彼らならではの特性を武器に、現代アメリカで最も活躍している層の一つでもある。 


アメリカ生まれの彼らは、海を渡りやって来た一世たちとまったく別の存在へと変貌していく。 


懸命に働く一世たちの姿を見て育ち、親子兄弟親戚一同で助け合うチャイナタウンというコミュニティーで育った彼らは、勤勉でそして強力なネットワーク持つ。  



時は経つのだ。 

あの頃の一世たちの多くが徐々に老齢の域へと向かってきている今、今後十余年が更に経ち完全にアメリカ生まれの二世たちの時代ともなれば、、、その頃には少なくてももう彼らにあのチャイナタウンでの生活はそぐわないのだろう。


時代は変化していく。 

全てのモノには必ず終わりの時がやってくる。     


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あるいは今後は「チャイナタウン」を歴史財産として観光地のごとく保存していく、これからはそういう動きとなっていくのだろうか。  


朝のにぎわい、騒音、夜の静寂。独特の匂い、汚れ、混沌、狭さ、乱雑。活気、熱気、シンプルさ。 


たとえ街の景色をそのままくりぬいて保存して観光地化できたとしても、そこには表現できないモノがあまりにたくさんあることだろう。  


ならばいっそ、時代の流れ、と受け止め、時代にあらがうことをやめるのも一つ。 


もしその場所が一つの役目を終えたのだとすれば、それはそれでそのままただ終わればいい。 



 「チャイナタウン」に限らず、今はあちこちで再開発が盛んに行われている時代だ。 

かつて混沌としていたあやしげなエリアが大規模に再開発され、その後にはこぎれいなコンドミニアムや商業ビルが建ち並び、そこにチェーン店の大型店がテナントとして入る。そんなエリアがあちこちに同じようにある時代。  


そんな時代には街々の地域地域の大きな違いを見つけることは困難なのかもしれない。   


セーフウエイもロングスもメーシーもノードストームも、結局今ではもう全米どの街に行ってもある。 


確かに便利だ。
生活が飛躍的に便利になる。 


一方、また街が消える。
思い出深い建物がまた一つなくなる。
ノスタルジック。  


しかしどんな感傷を述べたところで、日々の暮らしの便利さに勝るものはない。 

感傷は一時であり抽象的であり、他方、生活は毎日であり具体的なものなのだ。   


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観光地のチャイナタウンに、そこに既にあの「匂い」と「音」と「怖さ」がなくなっている今、場所自体の問題ではないことはわかりきっている。 

それは心の問題だから。 

ノスタルジックを突き詰めていくと結局はシングルモルトを舐めながら混沌の毎夜を過ごす羽目になる。 

時代は変わるのだ。    


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今何より世界がどんどん狭くなっている。 

世界と簡単につながれてる、遠くの誰かとあっという間に情報の共有もできるようになっている。 


片道切符で横浜港から今生の別れで旅経つ必要はもうない。 

気軽に行って、そして気軽に帰って来られる。
驚くほど安価にそういうことができる。  


何なら無料で世界の果てからテレビ電話で愛を語ることだってできる。 

昔は手紙でそれをしていた。
国際郵便は届くまでに長い日数がかかったし、時に届かないこともあった。
それが今生の別れになることにつながることだってあったのだ。  


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 「感傷」や「情緒」だけでは片づけてほしくないと思う。 

やはり便利なツールはあった方が断然いいのだと思う。 

不便な時代に戻るのは、片道切符の貧しさの中で、あの下働きの重労働の毎日に戻るのは、やはりもうごめんだ。      


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今から十余年ほど前僕がサンフランシスコにまだ住んでいた頃、僕の周りの中国人たちの多くは「生きるためにそこにいた」そういう人たちがまだまだ圧倒的に多かった。 

家族単位で、あるいはもっと大規模な親戚単位で、計画的に段階的に、海を渡り生活の拠点を徐々にその街に移していっていた。 

一方それに対して僕の周りにいた日本人とか韓国人の知人の多くは「そこに住むため、そこで学ぶためにそこにいた」という人たちが多かった。
もちろん僕自身もまた「そこに住みたいから来て住み着いた」という一人だった。  

目的が根本的に違っていた。 

だから覚悟もまったくに違っていた。 

生きるためにそこへ来なければならなかった人たちと、そして来た以上はそこで行き抜かねばならぬ人たちと、一方、来たいから来たというだけの僕らとのその圧倒的な覚悟の違いを感じた。  


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「チャイナタウン」とは、生きるために海を渡らねばならなかった一世たちが、生き抜くために「ツール」として作り上げた場所のことなのだろうと思う。 

言葉ができないから一人では自立はできない。しかし金もないし時間もない、教育も受けられない。
だから同じ境遇の同胞たちで力を合わせて何とか生きて抜いていくための場所。  


そこはたとえば異国にある駆け込み寺のような場所だったのかもしれない。   



かつてチャイナタウンに限らず、日本人街も、イタリア人街も、メキシコ人街も、移民の国アメリカではそういう場所は各所にあった。 

しかし例えば日本人街などは母国日本の発展とともにいち早く駆け込み寺としての意義を終え、今ではもう既に、ある種の形骸の様相となっている。 

形こそまだあるけど、そうなった最初の理由自体はもうそこにはない。 

日本食レストランやお店は多々あれど、経営者はコリアンだったりチャイニーズだったり、、、、、。 

もちろんこれも時代だ。 

その場所はもう観光地「ジャパンタウン」という場所でしかない。   


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時代は変わるし、言葉も文化も変化していく。 

日本人としての、中国人としての、アメリカ人としての、そういうアイデンティティーですら相当に昔とは違ってきていることだろう。   


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例えば料理の世界でも、フレンチでもイタリアンでも当たり前のように醤油を使うこともあるし、魚でカルパッチョということもあるし、逆に和食にトリフやフォアグラを使いワインを合わせることもある。 

これだけ世界が狭くなってきているのだからそういうのはもう当然のことだと思う。 

しかも輸送技術も冷蔵技術も高い現代で、なぜ四川だからといってなぜフレンチだからといって、大昔の新鮮な食材が手に入りにくかった時代の料理法をかたくなに守り続ける意味があるのだろう。 

和食の片刃包丁を使うイタリアンシェフがいてもいい。きっととびきり美味い魚のカルパッチョを食べさせてくれるのかもしれない。     


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再開発により、どの街にも同じようなチェーン店の大型店ができていく。 

そういう時代。 


でも、マクドナルドにはご当地メニューがあるように、ウォールマートにはローカルコーナーがあるように、大型店だからといって必ずしも街の個性が消えるということでもないのだとも思う。 

ハワイの人の食生活からはポイは欠かせないように、サンフランの人からサワドーは欠かせないように、その街の住民の買いたいものは同じ名前の大型店でも街々により違う。 


個性は消そうとしてもそうそう消えないものだと思う。  


例えば伝統的なステレオタイプの和食を食べなくなってきている現代日本人だとはいえ、世界の人から見たら僕らの食事はまだまだ全くの日本食。コメを食べ、醤油味を好み、お茶を飲み、です。 

ただ大昔の時と比べると確かに変化はしているというだけのこと。 

そういう変化の過程で、残るべきものは残るし、消えるべきものは消えるだけ、ということ。 

実際、今の江戸前寿司にしても、あるいは肉じゃがだって、テンプラだって、すきやきだって、歴史、それほど古いものではないですしね。    


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ハワイにもサンフランにもセーフウエイもカスコもあるし、何なら東京にもスターバックスもあるけど、皆同じかといえば、意外と違う。当たり前。   



そうそう街は変わりません。
たかだか新しい建物ができたくらいで、たかだか新しい大型店が進出したくらいで、そうそう街は変わりません。 

何が起こっても、所詮変わるべきものだけが変わるし、残るべきは残るもの。   


たぶんそういうのが個性なのかもしれないと思う。 

消そうにも消えきれないもの、じんわりと残るもの。
それがその街の「今」の個性。   


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確かにもう昔のようなヒッピーの匂いをサンフランのヘイトに求めても、昔とは同じ匂いはないけれど。
でもこれが今のサンフラン。 

それでいい。
だってこっちも、それを感じている僕自身にしてももう昔とはだいぶ違うのだから。    


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牧歌的だったハワイ島のパホアにも近年急速に大型店が進出してきて、昔からの小売店が最近閉ったりとあったけど、それもこれも含めて今のあの街。    


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それでも、この「今」は、必ずあの「昔」とつがっているから。 

昔があっての今だから、だから隠そうにも隠れきれないモノがそこには必ずあるから。 

それこそが個性なんだと思う。   


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ポイのスタイルや食べ方が時代とともに変わってきても、そもそもあの「昔」があったから今のポイのそれがあるわけで。
   


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歴史がなかったのに突然現れて、そしてあっという間に消えていくのはただの流行り。


一方、流行りだと思っていたのが、しかしそこから始まって新しい歴史として今に根付くというのももちろんある。

明治の日本のスキヤキ、テンプラ、カレー、こういうのはもちろんそうだし、あるいは今のアメリカのSUSHIやSAKEもそう、、、、、。   


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わざわざ苦言など言わなくてもブームで終わるものは勝手に終わりますし、魅力的なもの必要とされるものは、形を変えながらその土地の文化と融合して残っていくもの。 

それこそが時代の流れ。 

そしてそのことはとてもおもしろいものです。     



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「チャイナタウン」とは、そこは帰る場所のない一世たちが異国で必死に生き抜くために作ったかけがえないない場所、ツールなんだと思う。  



でも時代は変わり、母国は発展し、そして世界も狭くなり、チャイナタウンはもう当初の意義を終えたのかもしれません。  


だからその場所を今後、観光地化したとしても、さて何か意味があるのかなとも個人的には思うのだけど、、、、どうだろう、、、、もちろんそういうのは時代が決めていくこと、結局、残るものは残るし、残らないものは無くなっていくだけ。  



その昔「チャイナタウン」は正に唯一無二の場所だった。 

そこでしか味わない空気感が確かにあった。     


時代は変わる。 

そこに行っても、あの時感じた空気感はもうないし、ましてやそれを感じていた自分ももうあの時のままではない。 

その時はそういう時代だった。
たぶんそれで充分だ。 

わざわざ抜け殻を磨いて展示しても、そこには真意などもうない。    


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それよりも今の二世たちを見る。
 

もう「チャイナタウン」で暮らしていない今この時代を生きている二世の姿を見る。 

面々と繋がった一世たちの姿をその奥のどこかから感じる。 

隠そうにも隠れきれないモノがそこにはある。 

姿形こそ時代とともに変わってはいても、どれ程スマートになり洗練されてはいても、ちゃんとそれは受け継がれています。 

それだけが残るべくして残った親からの大切な「思い」なのだと思う。    



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<連絡>

来年1月半ばから2月末までハワイ島に滞在している予定です。 

尚その間は日本で使用している携帯電話は通じませんので、ご連絡の際にはハワイで使用している携帯電話(808)375−2440宛に国際電話をかけていただくか、あるいは通常通り aloha@hawaii-consultant.com 宛にEメールを送ってください。
PCだけは世界中どこにいっても常に持ち歩いておりますので、各所のWIFIホットスポットから随時返信していきます) 

アロハ
笹本正明
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/  

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posted by 海外ロングステイ相談室 at 10:35 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○and others