2008年06月16日

その人のきっかけ #2の2

カリフォルニア在住のN君の場合、その2


カリフォルニアに到着したN君は、バックパックを担いでダウンタウンのYMCAとジャパンタウンのYMCAとを交互に泊まった。

気分転換を考えてのことらしかったが、もちろん大した違いはなかったらしい。

それでもハワイとは違いバックパッカーにとってカリフォルニアは住み良い街ではあった。
同じ様な年代の同じ様な境遇の人間は多かったし、まだバックパッカーというものが珍しくない時代でもあり、そしてその地域は特にまだ、ジャック・ケルアラックが通り名になるくらい、そういう人間たちが多く、寛容な街だった。

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N君は食費を切り詰めてはいたけれど、ダウンタウンのYMCAに泊まった時だけは、奮発して日本食レストランに出かけていた。
ひげはそのままだったけど、きちんとシャワーを浴び、一番まともなポロシャツを着て、長いパンツを履いて出かけた。
寿司屋のカウンターに座り、当時流行り出したカリフォルニアロールを食べ、サッポロを飲んだ。
当時日本のビールはキリンとサッポロの2種類だけだった。キリンはカナダで作られていたから、サッポロだけが日本からのものだった。だから彼はいつもサッポロを注文した。

その店のウエイターやウエイトレスはN君と同年代が多かった。
2回ほど通っただけで、すっかり打ち解けた。
店が跳ねてから店の連中と飲みに出かけた。
ビリヤードをしたり、踊りに出かけた。
そういう店がニュージランドともオーストラリアとも違い、この街にはたくさんあった。
都会だった。これがアメリカのビックシティーだった。


N君は店のオーナー兼板さんに気に入られ、グリーンカードと引き換えに店で働くことを勧められた。
彼は世界旅行の途中であることを理由に断ろうとしたけど、いずれはどこかに落ち着くのだろう?それにここでグリーンカードを取って、その後また旅行続ければいいじゃないか? そういう風にオーナーにくどかれては、まだ二十歳そこそこの彼なんかは簡単に言いくるめられてしまった。

結局彼はその街で暮らすことになった。
ひげも剃った。
それからルームメート募集している物件を探し、引越しをした。

店のカウンターに座ることはなくなり、カウンターの向うのキッチンに入った。(そして後年そのカウンターの一番メインの場所に行くことになる)

でも、そんなに簡単にグリーンカードが取れるはずはなかった。


当時最速で1、2年で取れる人はいたけれど、それは平均ではなく、あくまで特別に順調に行った人の場合で、それにこういうことには必ず何かトラブルはつき物だった。


案の定彼の場合にもトラブルが起こった。その店がつぶれたのだ。

彼を誘ったオーナー兼板さんは失踪し、代わりに日本から新しいオーナーがやってきた。
日本の名の知れた企業が新しいオーナーになった。
そしてまもなく現地のマネージャーが送られてきた。

彼がその街で暮してから2年が過ぎていて、スシシェフになっていた。

グリーンカードはまだ取れていなかったけど、ワーキングパーミットだけは下りていた。
しかしそこからインタビューまでがなかなか進まない情況が続いていた。
そこへこのオーナー交代、最悪グリーンカード取得は一から出直しとなりそうだったし、そもそもここでこのまま働けるかどうかも分からなかった。


案の定、ホールで働いていた学生数人はレイオフされた。理由はまともな英語が話せないからだった。日本人客が圧倒的に多い店だったのだ。
しかし今度のオーナーはお客のターゲットをほぼ100%現地の裕福なアメリカ人を対象にするつもりで店をマネージメントする計画でいた。純日本風な従業員は必要ない、それが指針だった。
そういうわけで、キッチンでも昔から働いていた年配の従業員がレイオフされた。腕の良い頑固な職人だった。


マネージャーはN君を呼び、「君にはこの店の2番手として働いてもらいたい」、と言い、また、グリーンカードも引き続き、当社がスポンサーになるとのオファーを受けた。

悪くはない、でも面白くもない、それが気持ちだった。

彼は前のオーナーと今回辞めさせられた年配の従業員にかわいがられ、そして仕込まれた。


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ニュージーランドやオーストラリアで少しかじったことがある程度の彼に、築地の技術を叩き込んでくれたのはこの二人だった。彼らは腕が良かった。

今度の店はアメリカのジャパニーズレストランを目差すとのことだった。寿司ではなくSUSHI ということだ。

そしてそういう店に職人は不要との本部の判断ということだった。


彼は新しいマネージャーに適当な嘘をついて2ヶ月の休暇をとった。辞めるつもりでいた。

クビになっても構わないし、ここにいられなくなっても構わない。
そもそもこの街にとどまったきっかけの場所がなくなったのだ。

この2年でN君にも横のつながりができていた。
店以外にも日本人コミニュイティーのつながりがいつの間にかできていた。

「今何もしていないんだったら手伝ってよ」誰彼となくそう誘われた。
そしてそう誘われるままに、N君はいくつかの店を掛け持ちヘルプをして働いた。

そういうのは何となく面白かった。

そしてN君はこの街に自分の居場所を少しずつ実感し出した。


マネージャーは寛大な人間だった。
何も理由を聞くことなく彼に休暇を与え、そしてその休暇が終わる少し前頃にN君に連絡をし、何事もなかったかのように、向かい入れた。

復帰後、彼は以前にも増して働いた。そしてカウンター越しの彼の英語の発音も急速にカリフォルニア風へと変化していった。

やがて待ちに待ったグリーンカードのインタビューの知らせが彼の元に来た。
彼は初めてニュージーランドに旅立ってあの日から8年ぶりに日本に向かった。

目指すは在日本米国大使館。


その翌年僕は彼とカリフォルニアで再開した。

グリーンカード取得後、彼はまた二転三転することになる。
その続きはまた次回に。


posted by 海外ロングステイ相談室 at 21:04 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○あの人のきっかけ
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