2013年02月04日

桑港の語学学校

今から二十年ほど前(もうそんなに経つんだなあ、、)暮らし始めたサンフランシスコで、いわゆる「語学学校」というところに通っていた時期があった。


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実はこの前年、約2ヶ月に渡りニューヨーク、LA、アルバカーキー、サンフランシスコと点在しながら放浪旅行をして、そして気候や文化、雰囲気が一番気に入ったサンフランシスコを暮らす街と決め(最後までNYと迷ったけど寒さがどうしても苦手で、、)、その上で調べに調べてI―20をきちんと発行してくれる中で学費の一番安い学校を探した。

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2ヶ月の旅行を終え帰国後、さっさと住んでいたアパートを解約し、そして翌月から長野県の高原野菜農家へ住み込みで1シーズンを過ごし金を貯め、改めてF-1ビザを5年分もらい片道切符でサンフランシスコへ向かった。


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サンフランシスコの語学学校には結局数ヶ月で行かなくなった。

幸い仕事が決まり
E―2という種類の働けるビザを取得できたからだ。


学費を支払ってI―20を維持していく必要がなくなったということだ。


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そういう短い語学学校の体験ではあったけど、それでも初めての海外生活での、初めの語学学校体験だったから、その数ヶ月は新鮮で印象的で驚きだったことは今でもよく覚えている。




語学学校での最初のクラス分けペーパー試験で僕はインターミディアという真ん中のレベルのクラスに振り分けられた。

でも最初の授業で先生の言っていることがまったく聞き取れず、即二時間目からビギニングのクラスに変えてもらった。


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サンフランシスコという土地柄かクラスメイトの過半数がアジア系の人たちが多く、年齢層も実に様々だった。

当時20代だった僕などのちょうど母親世代のクラスメイトも相当数いて、そして彼女たちはかなり拙い言葉で、でも堂々と積極的にクラスの唯一のアメリカ人である先生に質問を繰り返していた。


時には授業は進まず、先生は苛立ち、でも彼女たちはそんなことにはまったく動ぜず、何度も何度も繰り返し繰り返し必死に言葉を身に付けようとしていた。

彼女たちの英語のレベルは実際に相当に低かった。


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海外でサバイバルしていくためには、自身の欲しいモノを相手に伝える力が特に必要になってくる。


相手に懸命に自身を伝えること、そして相手を懸命に理解しようとすることが、とても重要なことなのだ。




「まあ、いっか。」

それ
では生き残れない。




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戻る場所のない彼女たち、一族で協力し合いながら、一人ずつ海を渡ってくる彼女たち。


一族の一人が働ける別のビザを取れるようになれば、次はその家族ということで取得可能となるビザでまた他の人間が海を渡ってくる。

よりよい生活を求めて。家族が一族が生きていくため。




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きっと彼女たちにとっての「ふるさと」とは、「場所」のことではなく、「家族」であり「一族」のことを指すのだろう。


だから家族さえしっかりしていれば、例え政治情勢や国際事情の変化で住んでいた土地にいられなくなっても、その土地を離れざるを得なくなっても、それでも生き延びていく、家族で支えあって生き抜いていく。

土地を離れることは悔しいことではあるけれど、でも家族さえ無事であれば、家族さえいてくれれば、また新し地でそこをふるさととしてみせる。


そういう強さたくましさを感じる。


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サンフランシスコには大きなチャイナタウンがある。

そこはいつも活気に満ちていて、そしてそこだけサンフランシスコでありながらあたかも別の街のようでもある。


彼らはそこでクリスマスも働き正月も働き、そして旧正月を盛大に祝い休む。

海外の日本の二世三世がどんどん日本語を解さなくなっていくのに対して、彼らは例え外地で生まれても母国語と英語をどちらもきちんと解する。そういう教育を施す。


もしかすると日本人は「場所」に吸い込まれていくのだろうか。



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サンフランシスコには実にたくさんの街がある。

もともとカリフォルニア自体が多民族州であるけれど、更にもっとこの街は顕著だ。


チャイナタウン、イタリア人街、ロシア、日本、グリーク、コリアン、ヒスパニック、、、、他に国や民族ではないけど、ゲイ、ヒッピー、ニューエイジ、エトセトラエトセトラ、、、狭い面積のこの街に実に多種多彩の人が混在しているのがこの街のおもしろさだ。


でもよおーく見てみると、自身の国をそのまま持ち込んでくる傾向の強い民族と、逆にその国に同化しようとする民族があるように感じる面が少なからずある。



近年この街の日本人街の規模が小さくなっていること、そしてそれは何もこの街にだけ限ったことではないことを想っても、日本人の中には「郷に入れば郷に従え」の感覚が割と強い民族なのかな、ともふと思ってみたりもする。


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今の僕は仕事柄ハワイの現地で暮らしている日本人と会う機会が割とある。


彼らの風貌は概ね現地の景色にすっかり溶け込んでいるように僕には見える。


まるですっかりハワイで生まれ育った人のように見える。


同化力が高いのかな、とまた思ったりもする。


でも一方では、そんな風貌なのに、日本人としての想いを忘れていない人たちもこれまた多い。



逆に日本に住んでいる日本人の想いとはまったくに比べ物にならないほどに、その想いは相当に強い。


真っ黒に日焼けし、ビーサンを履き、ショートパンツに
Tシャツ姿で、でも日本を語る。母国を論じる。相当に強く。


遠い海の向こうから、ヤシの木の下で、あるいは金門公園で。


同化力と右傾化、、。

相反するものが共存している。

押し合い引き合い。自らの中でバランスを取ろうとしているかのように。実際そうなのだろう。


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20年前桑港(サンフサンシスコ)の語学学校に数ヶ月通った時に、よく作文の授業があった。

これは英語の勉強という技術的なことだけでなく、この作文には自身の考えを相手に伝える主張するという意味合いが強かったと思う。

そのことはつまりそもそも主張するべきものがないと、英語の語彙の問題以前となるということであり、僕はいつも頭が痛かった。


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英語を使い何をするか、せっかく共通語として英語を使うのだから、その内容は「もともと相手も知っている主題をベースに」か「相手に理解できるような説明の仕方」を学びたい。



もともとのベースがないところでいきなり歌舞伎の十八番について話をしてもそれはなかなかうまく伝わらない。まずは最初に歌舞伎とはなんぞや、という辺りから話していく必要がある。


文化風習の違う相手へどういう風に伝えていくか、それはまず相手を想像するところから始まるのかもしれない。

日本にいると皆が当たり前のように「空気」を読み合うので、言葉を省略したり、前置きは省いたりするけど、でも省いたそれが海外生活では実は必要となることが多い。


外に行くと「空気」は読んでくれない。そもそも始めから同じ空気を共有していないのだ。



だから懸命に自身を伝えなくてはならない。

懸命に相手を理解しなくてはならない。


そうしないと異文化で育った人たちとはうまく交流ができなくなる。


交流できなくなると、せっかく海外にいるのに「空気」を共有できる人たちとだけつるむようになる。

それではせっかくの海外生活が、実にもったいない。



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「空気」を読むことは日本に置いておいて、海外生活ではまず、人と人との基本の基本、「ともかく目の前の相手をよーく見る、そしてよーく想像する」ことから始めたい。



20年前の桑港の語学学校で出会った、あの空気を読まない、でも生きることに、生きていくことに懸命なおばちゃんたちから僕は、現実を見る、目の前だけを見る、「今この時を生きる」、その重要性を学んだ。


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今日も桑港の中華街では「ニーハウマー」と20年前のおばちゃんは大声で言っているだろう。


おばちゃんはもう英語は話さない。

その代わりその地で生まれた彼女の息子と娘が、彼女の代わりに流暢な英語を話し、そして家やコミニティー間では厳しく躾けられたマンダリンを話す。

前向きに、現実的に、そして今を生きる、ただ懸命に。




20年前の桑港の語学学校で出会ったおばちゃんたちからは、たくましく生きるとは何ぞや、そういうシンプルさをまるごとに見せてもらった気がした。


だからその前年一人で米国を横断し放浪したことなど、あっという間にふっとんだ。

僕の放浪はただの自己満足な内向きな旅行でしかなかったとその時に気がついた。

風景を見て、自分と語り、貧しさを疑似体験し、自分を褒め、大柄の米国人に囲まれて自分までその一員になれたような高揚があり、、、、でもそんな子供じみた感覚が、恥ずかしく思うと同時に、ようやくに何かが吹っ切れたようにも感じた。

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たくましく生きる、ただ目の前の今を生きる。


きっとそんなおばちゃんたちが今日もまた、桑港の語学学校で米国人の先生を質問攻めにしているのだろう。


何しろただ英語が話せないだけで、そもそも背負っているものや覚悟が違うのだから、先生には覚悟してもらわなきゃね
 
 



ニーハウマー
笹本正明     
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/ 

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posted by 海外ロングステイ相談室 at 10:10 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○海外ロングステイのエピソード
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