先月当ブログでも告知しましたように、6月2日に成田空港からいつものようにハワイへ向かったのですが、しかし、その翌日に再び日本へ戻ってくることになるとはもちろん全く予想していませんでした。
これでもかれこれもう25年以上、米国で暮らしたり関わったりして生きてきたのですけど、今回の出来事は全く初めての体験でした。まだまだ初めてのことあったのですね(苦笑)
その朝ホノルル(ダニエル・イノウエ)空港へ到着して、そしてイミグレーションの列へ並びます。
あいにく自動のセルフチェックインの方は先の到着便からの人だかりで、空港係員の誘導で通常入国審査の列に並ぶことになりました。
毎日日本から3、4千人の観光客が訪れるハワイですから、いつものように混んでいます。
ヒロへの乗り継ぎ便までは、小2時間ありました。
なので空港を出たら、ザ・バスに乗りディリングハムまで行って朝食を食べて来ようと、いつものように呑気に考えている僕がいます。
いつも混んでいるハワイでの入国審査ですが、1人で審査を受けている人というのは、あまり見ません。やはり圧倒的に家族づれが多いように見受けます。
ハワイだから、独り旅が特別少ないのかどうかというのまではよくわかりません。
そもそも一人旅の旅行者が格段に多い旅行先というのがあるのか?
もしそういう場所がもしあるのなら、興味津々行ってみたいように思ったりと、そんなくだらないことを、並んでいる間は結構時間が長いので、審査を待つ間考えていました。
何組目の家族づれの入国審査が終わり、いよいよ僕の番です。
いつものように(さあ今まで何十回、いやもしかすると百回以上?この場に来たことやら)、目的を言い、指紋をスキャンし、顔写真を、と進んでいきます。
何も変わったことありません。全くいつものとおりです。
ただ最後の一言がいつもと違っていました。
入国審査官はブースから降りて来て、僕へニッコリと「こっちへ来て」とうながします。
もちろん僕はそのまま素直に彼女の後をついていきます。この経験なら何度かはあります。
「そうか、別室か、、、そうなると今回はディリングハムでの朝食は無しか、、」なんて呑気に頭の中で思います。
ホノルル空港内は向かって左側にバゲージクレームへ降りるエスカレーターがあり、そしてその真反対の右側に「別室」があります。
1番遠周りの1番右側に入口があり、そこに入り待合室のようなところへ通されます。
ここでしばらく待つように言われ、同時にバゲージクレームに幾つ荷物を預けてあるか聞かれます。
Wi-Fiのスイッチを入れ、iPhoneの電源を立ち上げてメールをチェックしながらしばらく時間を潰していると、だいぶ経ってから「ここ携帯禁止ですよ」と声がかかります。
「ごめんね」と笑顔で応え、iPhoneをしまい、壁を見たり、他の人たちのやり取りを聴きながら待つことにします。
入国審査官は皆んな腰に拳銃をぶら下げているので、大きな権限を与えられているのだろうなあとふと思ったりします。
しかも彼らは独任官庁で、絶対的な存在です。
また腰の拳銃というのはそれだけで絶対的なものを感じさせます。日本の警官の拳銃は普段ケースに覆われているせいかあまり威圧感がない気がするけど、米国のはむき出しですぐに使えるところが、なんというか実用的というか、日常感が漂っていて、威圧感があると思う。
でもそんな人たちが、カウンターの向こうで同僚の誰かが買って来たドーナッツの大箱から一人また一人と嬉しそうにドーナッツを取り、すぐかじり、そのまま手に持ちながら、僕のようなこの「別室」送りの外国人の審査をしている、「おいおいそんな指で、パスポートに、砂糖ついちゃわないか、、」と思っているのはきっと僕だけなのか。
やがて僕の名前が呼ばれる。でも僕が通されたのは、ここにいる多くの人たちとは違いカウンターではなく、更に別室のオフィス。
そして最初に聞かれたのは「英語わかりますか?」ということ。
もしかすると「わからない」と言って通訳を呼んでもらった方が良いのかもしれなかったけど、ついつい矢継ぎ早の一般質問に反射的に英語で答えていた。しゃーない、、
一般論として込み入った話をする場合やはり通訳がいた方が話は伝わりやすいものです。でもその通訳がどういう通訳かということだってある、言葉は通じても真意は通じないということだって意外とあることも確かです。
そういう意味では五分五分です。
しゃーない、開き直ろう。
起こってしまったことは起こってしまったこと、もうやるしかない。
「別室のそのまた別室」のドアは閉められ、目の前には小柄な黒人の審査官、そしてその横にアジア系のクールな審査官。普通は一対一で取り調べされるものだろうけど(少なくても僕の経験上は)、どうやら今回はこのコンビで審査をするようだ。
喋りは主に小柄の方がして、それを時々クールが訂正している、きっと新人とその上司ということかもしれない。それにしてもクールは全く笑顔一つない、何か嫌なことでもあったのだろうか?
また最初から質問が繰り返される。
「入国の目的は?」
「滞在日数は?」
「滞在場所は?」
「仕事は?」
その後質問は具体的になってくる。
「滞在する家は誰の家?」
「支払いは誰が?」
ひと通り質問が終わり、また「別室の待合室」で待つように言われる。
iPhoneが使えないので、ヒロ空港へ迎えに来てくれる予定の友人へまだ連絡もできない。でもまだまだ時間はある。また壁を見て時間を潰すことにする。
その間もカウンターでは別の取り調べがされている。
なぜ僕は「別室の別室」で、多くの人はこのまま待合室の中のカウンターでしているのだろうと思う。もちろんその答えはわからない。
カウンターの向こうから英語で質問が飛ぶ。でも相手の日本人らしき女性の方はその意味が全くわからないようだ。
僕は座りながら壁を見ながら、カウンターへ聞こえるように通訳してみる。
かつおダシとか、饅頭とか、そういう言葉が多い。
持って来た荷物のことを訊かれているのだろう。
「仕事は?」と聞かれて、彼女は「アルバイト」と答えて、もちろん審査官はそのドイツ語を介さないのだろう、僕が「パートタイマー」と壁を見ながら答えて、この二人とニッコリ笑い合い、少しだけ気持ちが通じ合った気がした。どこでも人は通じ合えるのだ。心は須らく素直で柔らかくありたいものだ。
やがて「小柄」が「別室の別室」の扉を開け、ぐるりと一瞥し、僕を見つけ手招きする。
まだ若そうだ。でも老けて見える。なぜだろう?
「小柄」の後ろには「クール」がいて、やはり苦虫を潰したような顔をしている、なかなか問題は解決しないらしい。
「持ち物検査してもいいか?」
強制ではなく一応任意なのか許可を求めるらしい(過去、別室送りは何度かあったけど、ここから先は今回初めての経験だった。)
もちろん「ノー」と言えるわけもない。了承して、そして連れ立って「別室」を出て、バゲージクレームへと向かう。途中なぜかエスカレーターは使わずにエレベーターで皆で下へ降りる。マニュアルでそう決まっているのかもしれない。
そういえば荷物だって、「別室」へ誰かが持って来てくれれば良いものをと思うのだけど、わざわざ僕を連れて連れ立ってバゲージクレームまで行き、すでに降ろされていたスーツケースを自身で持たせ、それを通常の税関のところで衆人環視のもとで検査するのだ。これももちろん意味があるのだろう。
しかし荷物検査の際には、僕がそれに触ることは許可されない。
審査官がいちいち「これは何だ?」と荷物を指し訊かれるたびに、それに答える、それだけだ。
尚、検査の後整頓して彼らが元どおりに片付けてくれることもない、だから財布の中のものも、小物も大物もあちこちに乱雑に仕舞われることになる。これもまあシャーない。
荷物検査が終わり、またずらずらと連れ立ってエレベーターに乗り、最初の「別室の待合室」へ戻り、再び待つように言われる。
ただ初めてそこで僕は、「乗り継ぎ便まで時間あまりなくなって来たのだけど、、」と「小柄」へ言ってみた。小柄は「大丈夫、大丈夫」と笑顔で答える。ほんとかよ、、
また壁を見て過ごす。
貼られているチラシの類を一つ一つ読む。
残念ながら興味が惹かれる記事は何もなかったけど。
カウンターの中から、今度は「クール」が僕を呼ぶ。
僕の家族の名前と誕生日を聞き、住所を聞き、そのあと指紋と顔写真の撮影となる。
「クール」にも同じ質問をしてみる。「乗り継ぎ便まで時間大丈夫だろうか?」
彼は「我々は職務を果たしているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。」と、語気を強めて言う。
なるほど、ごもっとも。
OKAY, シャーない。もし間に合わない場合は、次の便へ変えてもらうように、飛行機会社で頼めばいい。よし、こうなったら、覚悟を決めよう。
「小柄」がまた僕を手招きする。
そして再三訊いたことと同じような質問をまたする。
それにいても何度同じようなことを訊けばいいんだ、、、
ん?
いや、ちょっとさっきまでとは違う。
なんと言うか、こちらがイエスかノーでしか答えられないような、そんな聞き方に質問が変化している。そしてそれは、どうも嫌な感じが漂う。
だから質問に対して、僕が真意を伝えようとイエスノーではなく別の文章で返そうとすると、後ろの「クール」が、イエスなのかノーなのか?シンプルに答えて、と遮る。
しかしそれでは真意は伝わらないと、この時僕は初めて抵抗してみる。
また質問が始まる。イエスかノーか?「小柄」が聞く。
まずいことになるかも、この時そう感じた。
そして、案の定まずいことになった。
しばらくまた待合室で壁を見て過ごしたあと、再び「小柄」に呼ばれた僕は、今度は「宣誓供述書」を作成されることになった。
宣誓をし、向こう5年間記録として保管されるという公的文書がこれから作成されようとしていた。
供述書に記載される質問の内容は、だいぶシンプルになっていた、そしてそれはあまりにシンプル過ぎて、つまり僕にとっては一言では答えにくいものばかりで、途中途中で止まることになった。その度に「クール」が質問を別の言い方に直し、答えやすくして、進めていった。
そうして作成した供述書の最後に、僕には「入国拒否」が言い渡された。
その言葉を聞かされた時、体が震えた。
なぜ?
何が起こった?
「弁護士へ連絡をしてもらえないだろうか?」
ようやくに僕はそう言った。
「クール」は静かに「許可できない。」と答えた。
「では僕に今与えられた選択肢は何ですか?」
「乗って来た航空会社の今日の飛行機で帰国するか、さもなくはジェイル(留置所)へとなります。」と「クール」はクールに言い、更に続けた。
「尚その最後の飛行機は今から20分後に離陸します。」
※入国拒否の場合その人を乗せてきた飛行機会社が責任を持って帰国させる義務がある。
「なぜ入国拒否なのですか?」
「許可されたビザの適用範囲を超えていると判断しました。あなたはあなたの目的にきちんと合うビザを取得した上で、米国へ入国しなくてはなりません。」
「よって、連邦政府より与えられた権限により、私は今回のあなたの入国を不許可とします。」
身体中に脱力感が襲って来たけど、でも起こってしまったことは仕方ない。
他に選択肢がない、ならばこれからのこともあるのだし、これ以上揉めることは得策ではない。
そして今、時間はもうほぼない。既に20分を切っている。
ここからは「小柄」の読み上げる文言の後に、言われるままにただただ事務的にデジタルサインをした。
喉がカラカラに乾いていた。
「クール」に
「水を一杯くれないだろうか?」
と言うと、彼はすぐに他の係官へボトルウオーターを手配してくれた。
冷たい水を飲み少し落ち着いた。
僕は「クール」にありがとうと言った。あいかわず彼の表情はクールなままだった。
また他のビザを取ってから入国して下さい、と「小柄」は言った。
「入国できるのかい?」
「大丈夫、大丈夫。」と「小柄」は、やはり笑顔でそう答えた。
入国審査官から、(多分)空港警察官へと僕の身柄とスーツケースはが引き渡された。
空港警察官は僕のパスポート入りの茶封筒を持ち、僕へ「こちらへ」と促した。
そしてそこからが大急ぎだ。
「別室」脇のトイレのその脇のドアを入り、そこは多分審査官たちの詰所といった場所のような、そこを抜け、更に廊下を抜け、するとあっという間に出発ロビーの向かって右側に出た。
そこにはハワイ旅行を楽しんだであろうたくさんの人たちが列を作り、チェックインを並んで待っていた。
空港警察官と僕はその列を無視し、一番前へ行き、航空会社カウンターの地上乗務員へ封筒を見せてた。
担当者は慣れたように(さすがです)、モニターを見て席を決め、僕からスーツケースを預かった。
離陸まであと10分強。
続いてボディーチェックの列もすっと割り込み、警官と一緒にいきなり最前列へ行き、荷物検査とボディーチェック、そして急ぎ足でターミナルへ、
「もう携帯使えるよ。」
と警官は言い、
僕は迎えに来てくれるはずだった友人へ電話し、その後幾人かへ大急ぎでメールを何本か送った。
飛行機へ乗り込むのも即。一番最初。
でもパスポート入りの封筒は、乗務員へ預けられ、日本に着いてから受け取るということと言われた。
なるほど、万一の逃走防止という意味なのかもね。
急遽の搭乗ということで、席は(恐らくは本当はそこは空席となるはずだったのだろう)三人がけの通路側、窓側には幼児連れの夫婦、しかも通路を挟みそのまた隣も幼児連れの夫婦、という席。
もちろん僕に選択権はない。何しろ「強制帰国か留置所」かなのだ。
さすがにこの時になると、疲れが出ている。
ビールを頼んで、寝ようと思う。
でもどうしても眠れない。
疲れているはずなのだけど、眠れない。
その上、食欲も出ない。機内食は全て手をつけないで残し、ビールだけ2本飲む。
眠れないので、映画を観る。
ある日突然電気が使えなくなった日本の普通の家族のロードムービーと自殺をしようとしていた老人の近所に引っ越して来たインド人家族との交流の北欧の映画を観た。どちらもおもしろかった。
でもまだ眠れない。
両隣からは代わり番こに幼児の泣き声がする。その度に親御さんに申し訳なさそうにされるけど、でも申し訳ないのは本当は僕の方。本来ならこの席には誰も座っていなかったはず。余計な僕が突発的にここに座ってしまっているので、本当は申し訳ないは僕なのですよ、と心の中で謝るだけ。
やがて日本へ到着間際となった時に、乗務員さんから「最後まで残っていただき、私と一緒に降りていただけますか?」と言われた。もちろんこれがデートの誘いではないのはわかっている。
「ところでこの税関申告書、僕も書く必要がありますか?」
「念のため書いておいて下さい。」
「わかりました。」
飛行機が着陸し、再び両側の夫婦からお詫びをされる。
皆良い人たちだ。
楽しいハワイ旅行だったのなら良いな。
この子たち、きっとハワイの記憶はないんだろうなあ。でもまた来ればいいね。
帰国。
昨日発ったばかりだけど。
降りぎわ、最後のお客となった僕に茶封筒を渡す乗務員。
「お疲れ様でした。」
素敵な笑顔で、お陰で疲れが吹き飛びます。
「お世話になりました。」
イミグレーションで茶封筒からパスポートを出し渡す。
「何かあるんですかね?」と聞いてみる。
「いえ、自分の国ですから何もありません。」
なるほど。
次に税関へ行き、これどうしますか?と申告書を差し出す。
「実は入国拒否となってしまったので、だから入国していないので、荷物昨日と何も変わっていませんので、、」
「ああそうなんですか、わかりました。」
たったそれだけ、申告書を受け取り、そのまま自動ドアへ。
自分の国ってそういうことなんですね。
なんか拍子抜けではありますが。
でもこれ以上込み入ったことは、今日は少なくても勘弁願いたかったので、安堵は安堵です。
成田空港、
電車へ乗り着席すると、早速にあちこちへメール。
何しろハワイへやって来るお客さんがいるので、やっておかねばならない様々な段取りがあります。
ハワイからの帰国便に乗る前に電話とメールしておいた現地のスタッフ達と再度調整メール。
お客さんへ何とか不便のないように。不安のないように。
そして翌朝はハワイと同じ時間に目を覚まし、パソコンで遠隔仕事。
向こうに居るときのようにとはさすがに同じようには無理でも、極力不便のないようにしなくては。
もちろんその後は、現地の別の人間へどんどん引き継ぎ。
ハワイ0泊弾丸旅行の翌日からはしばらくはそんな風にハワイと同じ時間に起きて、パソコンの前で待機して、細かな段取り調整が終わり次第どんどん引き継ぎをして。そんな風に過ごしていました。
そして今、ハワイの弁護士へ今回のことを連絡し、新しいビザを取るための作業中。
(いろいろなところから書類を取り寄せたり、それを翻訳したり、必要な申請をしたり、手配をしたり。)
やはり、前しか向くつもりはありません。
何事も経験だと思っています。
可能性がある限り、あきらめるつもりはありません。
これもまた何かのチャンスだとも思います。
あるいは、ひとつの何かの区切りかもしれません。
でも今はまだわかりません。
後で振り返り、ああそうだったんだあ、となることでしょうけど、今はわかりません。
今はやることを、やれることと、やるべきことを、しっかり考え、やるだけです。
結果については今あれこれ思っても仕方ありません。
なるようになります。(当たり前ですね)
でも、やれることをやったそれと、ただ漫然としたそれでは、成った結果は違っているはずです。
今回のお客さんは先週末無事帰国しました。
ハワイの10年来の頼りになる友人がその後全てそのお客さんのことを引き継いでくれたので、結果僕がする以上にそのお客さんにはとても良い結果となったみたいで本当に良かったです。
もともと僕の仕事は、ハワイ生活の最初と最後にだけ特化したものの方が多いので、最初を過ぎたら、今回のお客さんのケースのように次の段階へ進む時には、現地のよりそれに適したスペシャリストへバトンタッチした方が良いと思うので、タイミングも期せずしてあっていたのだと思います。
さあ、次は僕のビザです。
どういう風に取っていくか、これについてはまたおいおいこのブログでもアップしていきますね。
「海外ロングステイ相談室」ができて今年で9年になります。
でも最初の頃となーんにも変わってはいません。
いつでもここはあなたのための個人的な相談室です。
今思案中の方、セカンドオピニオンが欲しい人、どうかお気軽に何でも訊いて下さい。
特に今回新しいビザが取れるまで、必然的にその間ずっと日本(東京)に居ることになりますので、(東京もしくは近郊であれば)直接お伺いしお話を訊かせていただくこともできますので、どうかお気軽ご連絡いただければ幸甚です。
お会いできますこと、楽しみにしております。
Warmest Aloha,
笹本正明
海外ロングステイ相談室
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