2008年05月01日

困った時はお互い様、アメリカ生活

アメリカに住んでいた時に火事に遭い、その日から住む場所をなくしたことがあります。

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1エーカーの敷地に建つ築100年のお屋敷のガレージの2階に間借りしていた頃です。

ガレージの2階、といってもものすごく広く、専用のキッチンもバストイレもあります。
その地域は名の通った高級住宅地で、建蔽率とか庭に最低どれくらい樹木を植えておかなくてならないとか、厳しく決められた地域でした。
そうやって街の景観とブランド力を皆で維持しているのです。
ともかく僕としては良い経験でした。
そういう高級住宅地で暮らせるということはなかなかできることではありませんから。

よい空気の中、車でその森(そういうイメージでした)を潜り抜け会社に向かいます。途中リスやシカを見かけては止まり、彼?(彼女?)を優先で通行させ、おかげで時々遅刻します。



その日もそういう日常の1コマのはずでした。

でも昼ごろそのお屋敷に住む大家さんから電話があり、「火事になった」、という知らせを聞きました。
そういう時はなかなか直ぐには現実として実感できないものです。
そうか、大変だな、でも誰もけが人はいないみたいだから、良かったな。人事です。

小一時間程して、家に向かい車を走らせます。森の入り口には小さな煙が一筋薄く空に消えています。

ガレージと母屋を結ぶ古い配電盤のショートが火災の原因でした。
幸い母屋は無事でしたが、ガレージの壁は焼け落ち、僕のベッドがはっきり外からも見えます。
消防隊員と赤十字が僕に声を掛けます。前者は事情説明、後者は今後についてです。
大家さんが、ごめんね、ごめんね、と僕に言います。
配電盤も相当老朽化していたようです。
服、、全て水浸しです。
それよりもいくらクリーニングしても、火災のニオイはなかなか取れないようです。このときはじめて知りました。


仕事が残っているのでとりあえず会社に戻ります。
ここにいても何もしようがありません。
燃えなかったものを隊員さんと一緒に確認し、そこからとりあえず貴重品だけ取り、サインをして今日のところは終わりです。
小さな金庫にパスポート類を入れておいたので、それは幸いでした。


仕事の途中に、近くのモーテルに電話をし、しばらく考えて一週間予約を入れます。とりあえず寝床は確保です。

仕事を終え、下着と洗面用品を買い、それからモーテルへ、バスに浸かり、ワインを飲みながらベッドに仰向けになり、天井を眺めます。

「そうだよな。この時間でなくて良かったな」
昼間だったからこれくらいで済んだんだ。

車、サイフ、クレジットカード、パスポート、これだけあれば何とかなる。それに何より今の僕には仕事がある。金はまたつくれる。アメリカに来た当初は何もなかったんだから。それに比べたら大した事ないさ。



翌朝モーテルのロビーに並んでいるフリーのドーナッツとコーヒーを頂き、新しい下着に着替えて出勤です。
リスもシカもそこにはいません。
フリーウェイを一直線です。
カーラジオにラップを大音量で掛けて、気分良く出かけましょう。


会社に着くと僕のデスクにダンボール箱がのっかっています。中身は服です。たくさん入っています。

「皆からだよ、古着だけど着れるものがあったら好きに着てくれ、」

嬉しいです。心から嬉しいです。
思わず我慢していたものがこみ上げてきます。
いつもは異国に暮らしているので、ナメられない様に肩に力を入れて、精一杯背伸びしているのです。
だからこういうのには、、、、ありがとうです。

「ありがとう、有り難く着せてもらう。本当にサンキュウ」

嬉しいことはまだまだ続きます。
会社の近くのクリーニング店、中東出身の店主、普段は憎まれ口ばかりたたき、ときどき僕とつまらないことから口げんかになるオヤジ、びしょぬれの火事のニオイが染み付いた服をもっていくと、いつもとは違い無口で、裏から何やらもってきて「これやるよ」と中東の民族衣装をくれました。
それからニオイ、何度も何度も洗ってくれて、本当にニオイ分からないくらいまでやってくれたみたいです。かなりディスカウントしてくれた上にです。

僕がありがとうというと、無言で握手してきます。でも2ヶ月もすると、いつものファキン!!、○△□!!、××△!!、、が飛び出しましたが、、、。

その節は本当に有難う御座いました。

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会社にパートタイムで働いていた日本人の奥さん、もともと旦那さんが日本の商社マンで転勤でアメリカに来て、グリーンカードを取り、家を買い、定年後二人でこちらで暮らすことにいている方です。

旦那さんはその時転勤で再び日本へ、奥さんだけ残り、旦那さんはお休みの時にアメリカに帰ってくる生活。
奥さんは時間をもてあますのがいやで僕が働いている会社でパートタイムで働いていたのです。


モーテルを出てから、何というか、僕はその方の家にしばらくお世話になることになりました。


火事から3日後、再び焼け焦げた家に戻りました。暮らせないことは一目瞭然です。

大家さんの態度は最初の日と変わっていました。
どうやら「弁済」のことを心配しているみたいです。
家には保健は入っているけど、でもあなたの家具、それはカバーしないのよ。
家具はね、自分で保健に入らなくてはいけないのよ。
火事の原因、まだ分からないのよ。
わかったら知らせるわね。
でもあなたには保健おりないと思うのよ。
それからモーテル代は今月もらった家賃から差し引いて残りを小切手にして会社に送っておくから。
何かしてあげたいんだけど、私たちはもうリタイアしていて、お金もないし、そういうことなの。


わかりました。とだけ言って荷物をまとめて立ち去ります。

もう何でもいいです。僕は日本人、ただ一言「ごめんなさい」で、良かったんですよ。



奥さんと奇妙な同居生活が始まります。
当事彼女は50代前半、僕は20代後半でした。

お二人にはお嬢さんが一人いましたが、ボストンの大学に入ったばかりで、そこで寮で暮らし始めたばかりでした。3人ばらばらです。でもクリスマスは皆で必ずこの家で過ごすそうです。

そこはとても素敵な家でした。
決して大きな家ではありませんが、隅々までお二人のこだわりが行き届いていて、家具、調度品の類までセンス良くまとめられています。

僕は当事タバコを吸っていたので、滞在中家の中庭のベンチで吸っていました。
時々彼女はそこに現れいろいろ話をしてくれます。
考えてみれば会社にいるときはそんなに親しくもなかったし、第一接点があまりなかったのです。
でも彼女はこうして僕を救ってくれました。

同じ日本人、言わなくても分かる、海を越えてやってきたものの共通のバックボーン、苦労もしたし、でもそれ以上に良いことがあった。それが瞬時に分かる、そう彼女は言いました。

「困った時はお互い様だからね」

お互い様って、僕は一方的に世話になっているんです。

お互い様なのよ。
私と主人がここにはじめてきた時、主人はともかく私はまったく英語も分からない、それこそ右も左も分からない、子供以下、でも、周りの皆が本当に親切にしてくれたの。それも当たり前のことにように。

でも今なら私は分かる、今私があなたにしているように、本当にそれは当たり前のことなのよ。
そしてあなたも、また次の人にそれをしてあげるの。
それがお返し。
大丈夫、その時になれば、義務感ではなく、自分から心からしてあげたくなるから。


あなたが私に恩返ししようとしても、それは無駄なこと。だって私は困っていないから。恩は今困っている人へ返せばいいの。

「困った時はお互い様」そういう意味なのよ。



僕は次のアパートメントが見つかるまで、結局約1ヶ月そこでお世話になりました。


その時も知り合いの日本人駐在員の方から、帰国するからと、家具を譲ってもらいました。

今思い出しても、本当に僕のアメリカ生活は人のお世話になってばかりでした。


僕が異国で長い間暮らしていけたのは、そういうたくさんの人のやさしさのおかげでした。



異国で暮らすいうことは、誰もがたった一人で何かと立ち向かわなければいけない瞬間があります。
言葉の問題や習慣の違い、それは今まで味わった事のない強いストレスがかかります。頭は真っ白で、ふらふら、限界点、これ以上何一つものを考えられません、そういう今まで味わったことにない疲れを感じることが、たまにではなく、度々あるのです。そしてそういう体験は異国に住むものなら誰もがしています。

そして今があります。だから今があるのです。この幸せを味わうことができるのです。

はじめて訪れた人の今の感情が理解できる、あの時の自分を思い出す。今きっと辛いだろう。今もう限界だろうと。
だからこそ人にはやさしくなれるのだと思います。


それは常に受け継がれたきた良き伝統。

困った時はお互い様。



今彼女は定年を迎えた旦那さんとあの素敵な家で幸せに暮らしています。
もちろん今でも困っている人を見かけたら、自然に「恩返し」しているのだろうと思います。







posted by 海外ロングステイ相談室 at 22:15 | ホノルル ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | ○海外ロングステイのエピソード
この記事へのコメント
笹本さん、私が32年前にNYに着いた時は所持金55ドルでグランドセントラル駅の待合室を定宿している浮浪者に援けられ、皿洗いの職を得るまで一月ほど世話になりました。夕方の4時頃になるとその日に売れなかったパンを店の軒先に出すパン屋を教えて貰いひもじい思いをせずに眠れたものです。だから今でも渋滞のNYの高速道路内で物乞いしている浮浪者に出会うと「死ぬなよ」と僅かですが金を手渡します。別段に考えがあるのではなく恩返しのような感覚が働くのです。NYは嫌いですが、困窮している人を見ると自分を顧みてついそのような行動に出てしまいます。(飲みながら話す前に昔話を少し記してみようと思います。返信は無用です)
Posted by andoorinn at 2012年02月12日 12:11
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