2008年02月15日

海外ロングステイ エピソート#1

僕が海外ロングステイ関係の仕事をしていて、いつも頭の中にイメージしている人たちがいます。

まだ僕がアメリカに住んでいた時に友達になった姉妹のこと。

お姉さんは現役のとき小学校の校長先生で、妹は「君の名は」で有名な現在フランス在住の女優さんの元マネージャーでした。

二人はお姉さんの定年退職を機に、アメリカで暮らすことを決めました。
二人とも海外とはまったく縁のない生活をしていたのに、ある日突然それも二人同時に、よしアメリカで暮らそう、と思ったみたいです。

二人は日本の斡旋会社を頼り、アパートメントを借り、英語学校に入学します。すごい冒険です。ダイハードよりエキサイティングです。

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現実の英語学校には若い留学生たちに混じり、実は結構年配の人もいます。でも誰も年の違いを意識しません。日本にいると意識してしまうのに、どうしてなのかまったく意識しなくなります。

海外に出ると苗字ではなく、自然に下の名前にさん付けで呼び合うようになります。日本にいる時のように年齢とか肩書きとかの壁がなくなり、20歳以上年上でも自然に友達のような感覚になります。きっと海外で暮らすというのは、そういう感覚も変化するのかもしれません。

二人は今でも英語はうまく話せません。それでも生活に不便はありません。
緊急時もしくは大切な契約事の時には、彼女たちがこの10数年のアメリカ生活の中で培ってきたたくさんの頼りになる友達たちが彼女たちの足となり手となります。

彼女たちはいつも豪快に笑い、話します。
週末、クリスマス、お正月、機会がある度に彼女たちの部屋の中は、大勢の人で溢れます。
そして自慢の手料理をこれでもかと振舞います。言葉通じなくても誰かが連れてきた外国人(?こっちが、だよね)にも人懐っこく豪快に日本語で話しかけます。通じています。多分。間違いなく。だって相手は喜んでます。それでOKです。

二人は運良くグリーンカードの抽選に当たりました。

今、お姉さんは足が悪くなり、車椅子ですが、それでもやはり豪快に笑っています。
バスに乗る時、車椅子用の自動コンベアがバスから真っ先に下りてきます。車椅子の人が席に着くまで、当たり前のように皆バス停で待っています。

自動ドアの少ないアメリカでは誰もが普通に後から来る人のためにドアを押さえています。

きっと年齢のことだけではありません。自然にやさしく振舞える文化がそこにあるのでしょう。そしてそこで暮らしていると、我々もそういう風に振舞えるのでしょう。

あの豪快な笑い声、また聞きたくなりました。それから手作りのお煮しめとローストビーフ食べたくなりました。

あの当時は海外ロングステイなんていう言葉は聞いたことありませんでした。結果として二人は今移住していますけど、またいつか帰国するか分かりません。だからこれもロングステイです。

何か突然強い気持ちになり、言葉も分からない、知識もないまま渡った二人の中に、僕はこの仕事の原点を見ています。

あの笑顔、あの体験、、、

今も二人はたくさんの老若男女の友達に囲まれて、自然にあのアメリカの景色の中に溶け込んでいます。

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2008年02月18日

海外ロングステイ エピソード#2

ハワイに出張する時に楽しみにしていることがあります。

ハワイ出張というと羨ましく思われがちですが、仕事ですので基本的に時間はほとんどありません。
もちろん海にも山も行けません。経費を使った海外出張ですから、予定はびっしり詰め込んでおりますので、当然休みも取れません。
夜11時頃チェックインして、朝6時にチェックアウトということもざらで、泊まったホテルの中もよく見ていないことも多いです。

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でも誰でも食事は取ります。

昼、夜はビジネスミーティングを兼ねることが多いのですが、朝、これは基本的に一人です。
ハワイは日系人が多いこともあり、ご飯食が多いのが特徴です。ブレックファーストをやっているレストランも良いですが、どうせなら、マック。

えっ、マック?? 

日本のマックも日本独自のメニューがあるように、ハワイでもご当地メニューガあります。
アイスクリームをすくうあの大きなスプーンみたいなもので2スクープ、ライスをプレートにのせます。それにスクランブルエッグと焼いたスバムとハッシュブラウン。それにホットコーヒー。そうライスです。(日本のマックにもないでしょう?)

僕はライスの上に醤油をたらしいただきます。
おかずというか、副食のひとつして食べるからです。(日本では普段は決してしません。でもあっちにいると何故かそうしたくなるのです。)

朝の束の間、ハワイだな、と僕が思う瞬間です。

アメリカ人はスシを食べる時(もちろん全部ではありません。あくまでも僕が良く見かけていた光景です。)、醤油用の小皿になみなみ醤油を入れ、それにわさびをたっぷり溶かしよくかき混ぜ、溢れんばかりのオリジナルディピングソースを予め用意します。
それから順番に、ミソスープを食べ、グリーンサラダを食べ、カリフォルニアロールを食べ、最後に残ったそのデッピングソースをライスにかけ食べます。
最初は僕も、いかん!是が非でもきちんとしたスシの食べ方をレクチャーしなくては、と使命感に燃えていたのですが、ただあまりにも自然なその姿を見ているうちに、「うまそうだな」と不覚にも思ってしまい、つい真似してみたのが運の尽き、僕も日本のスシ組合(?)に対し申し訳が立たない習慣を身に着けてしまいました。(もちろん向うにいる時だけです。)

それにライスは時としてつけあわせとしても登場します。
ステーキの添え物として、マッシュポテトか、フレンチフライか、ブロッコリー&にんじんか、それともライス、どれにいたしますか?という感じです。
他にパンはつきますので、ごはんが食べたければ、肉の横にライスが2スクープ、それにパンという組み合わせで食べることになります。小さな2つのライスの小山の上には旗が立っています。
醤油(ソイソース)、いかがです?ライスをご飯と思わず野菜と思えば、そこに醤油をひとたらし、ハワイな気分に浸れます。

ハワイ、たくさんの発見があります。
それに時には、新しいものを発見するより、新しい見方を発見する、それも楽しみなことです。

海外旅行はまだ見ぬものとの出会いであり、海外ロングステイは新しい物差しとの出会い、そういう風に最近思っています。

マハロ


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2008年02月22日

海外ロングステイ エピソード#3

ハワイ。
フリーウエイを走る。

喧騒と消費のビーチ街から30分経ただけで、ローマ字読みの看板が目立つようになる。
スズキモーター  ササキベーカリー  タナカモーテル

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そこは100年前の移民の町。

古き良き時代の日本人たち。

その子供たちが、今日初めて出会った僕を招き入れてくれる。とても自然に。
まるで昭和の古き良き時代にタイムスリップしたような、そういうあたたかな気持ちが蘇ってくる。

日本語は解さない。
今のように日本語学校もないし、ケーブルテレビや、インターネットももちろんない時代。子供はその土地の言葉を使い、遊ぶ。
大人たちは朝から晩までサトウキビ畑で働く。
実生活に必要のない言葉を教える暇も、その必要もない。

帰るところはもうない。
帰る術はもうない。
だから働く。この地をわが地と思う。

一世は言う。とてもキレイな日本語で僕に言う。
彼女は今年で88歳になる。今も現役で働いている。

「あの時は日本が本当に遠かった、、、。」 

彼女が想う日本はずっとあの頃のまま。
彼女は日本人、そして開拓者。また会いに行きます。

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2008年04月25日

海外で出会う美しい日本

海外で生活していると、ひょんなところで自分と同じ顔をした同胞に、つまり日本人とばったり出会うことがあります。

たとえばコインランドリーで、カフェで、、、。

ディズニーランドやワイキキなら、六本木や銀座での時と同じ様に、特に何とも感じません。

でもバーリンゲーム町のカフェなんかでふと見かけると、「おおっ、えっ!」何て、二度見しながら、知り合いでも何でもないのに少し焦ったりしながら、同時に言いも知れない懐かしい気持ちになります。

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やっぱり向うもこちらを意識しています。
本当に日本人かな、とか考えながら、でも100%お互い確信しています。
「日本人だ」
DNAというやつでしょうか?

あちらの人から見れば中国人も韓国人も日本人もまったく同じで見分けなんか付くはずないのに、我々には直ぐに分かります。

よくもまあこんなところで、こんな遠くで、出会えたものだよな、君もこの地でいろいろ苦労したんだろうな、わかるよ、わかるよ、ふむふむ、でもパリッとしたナリをして、いい顔しているじゃない、うまくいっているんだな、良かったな、よくがんばったな。
互いに無言のまま、懐かしみ、褒め称え合います。

やがて読みかけの英字新聞を鞄に入れ、コーヒーを飲み干し、ふと止まり、少し視線が合い、ほんの少し互いに会釈して、そしてやはり無言のままカフェを後にします。

やっぱり日本人です。

ほんの少し、良い気持ちになります。

そして再び日本語のない職場に、自分の生活の場に、戻っていきます。




現在届出を出している在留邦人の数は100万人以上、届出をしていない人を加えたら、この3倍以上は軽く超えるでしょう。

それから届出の必要がない、いわゆるビザ無し観光の、3ヶ月限定の海外ロングステイをする人たちを加えたら、、、、、。

今この時も、遠く離れた異国の地に、本当にたくさんの日本人たちが生活しているのですね。



異国の地、今日もどこかで邦人とすれ違います。

身の上話をしてみたい気もあるけど、少し照れくさい。

何年住んでいても、なかなか外国人のように大仰に抱き合ったりする感情表現はしにくいものです。



道に迷っている邦人を見かける。「どうしたの?」
言葉が通じなくて困っている邦人の観光客がいる。「どうしたの?」

日本に居る時には照れくさいのか何なのかわからないけど、たったそれだけの言葉がなかなか出てこなかったのに、海外にいるとなぜか自然に言える。

「どうしたの?」

困っている人を見かけると、自然に親切になれる。

この地に来た当初、先達の邦人たちがそうしてくれたように。

「困った時はお互い様」
本家では、少しずつ失われてきたと言われる美しい日本の風習が、不思議に海外ではずっと変わらず残っている。

日本人も捨てたものではない。

外国の文化を発見すると同時に、日本人の持つ美徳を改めて発見する、これも海外ロングステイの醍醐味なんだと思います。
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2008年05月01日

困った時はお互い様、アメリカ生活

アメリカに住んでいた時に火事に遭い、その日から住む場所をなくしたことがあります。

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1エーカーの敷地に建つ築100年のお屋敷のガレージの2階に間借りしていた頃です。

ガレージの2階、といってもものすごく広く、専用のキッチンもバストイレもあります。
その地域は名の通った高級住宅地で、建蔽率とか庭に最低どれくらい樹木を植えておかなくてならないとか、厳しく決められた地域でした。
そうやって街の景観とブランド力を皆で維持しているのです。
ともかく僕としては良い経験でした。
そういう高級住宅地で暮らせるということはなかなかできることではありませんから。

よい空気の中、車でその森(そういうイメージでした)を潜り抜け会社に向かいます。途中リスやシカを見かけては止まり、彼?(彼女?)を優先で通行させ、おかげで時々遅刻します。



その日もそういう日常の1コマのはずでした。

でも昼ごろそのお屋敷に住む大家さんから電話があり、「火事になった」、という知らせを聞きました。
そういう時はなかなか直ぐには現実として実感できないものです。
そうか、大変だな、でも誰もけが人はいないみたいだから、良かったな。人事です。

小一時間程して、家に向かい車を走らせます。森の入り口には小さな煙が一筋薄く空に消えています。

ガレージと母屋を結ぶ古い配電盤のショートが火災の原因でした。
幸い母屋は無事でしたが、ガレージの壁は焼け落ち、僕のベッドがはっきり外からも見えます。
消防隊員と赤十字が僕に声を掛けます。前者は事情説明、後者は今後についてです。
大家さんが、ごめんね、ごめんね、と僕に言います。
配電盤も相当老朽化していたようです。
服、、全て水浸しです。
それよりもいくらクリーニングしても、火災のニオイはなかなか取れないようです。このときはじめて知りました。


仕事が残っているのでとりあえず会社に戻ります。
ここにいても何もしようがありません。
燃えなかったものを隊員さんと一緒に確認し、そこからとりあえず貴重品だけ取り、サインをして今日のところは終わりです。
小さな金庫にパスポート類を入れておいたので、それは幸いでした。


仕事の途中に、近くのモーテルに電話をし、しばらく考えて一週間予約を入れます。とりあえず寝床は確保です。

仕事を終え、下着と洗面用品を買い、それからモーテルへ、バスに浸かり、ワインを飲みながらベッドに仰向けになり、天井を眺めます。

「そうだよな。この時間でなくて良かったな」
昼間だったからこれくらいで済んだんだ。

車、サイフ、クレジットカード、パスポート、これだけあれば何とかなる。それに何より今の僕には仕事がある。金はまたつくれる。アメリカに来た当初は何もなかったんだから。それに比べたら大した事ないさ。



翌朝モーテルのロビーに並んでいるフリーのドーナッツとコーヒーを頂き、新しい下着に着替えて出勤です。
リスもシカもそこにはいません。
フリーウェイを一直線です。
カーラジオにラップを大音量で掛けて、気分良く出かけましょう。


会社に着くと僕のデスクにダンボール箱がのっかっています。中身は服です。たくさん入っています。

「皆からだよ、古着だけど着れるものがあったら好きに着てくれ、」

嬉しいです。心から嬉しいです。
思わず我慢していたものがこみ上げてきます。
いつもは異国に暮らしているので、ナメられない様に肩に力を入れて、精一杯背伸びしているのです。
だからこういうのには、、、、ありがとうです。

「ありがとう、有り難く着せてもらう。本当にサンキュウ」

嬉しいことはまだまだ続きます。
会社の近くのクリーニング店、中東出身の店主、普段は憎まれ口ばかりたたき、ときどき僕とつまらないことから口げんかになるオヤジ、びしょぬれの火事のニオイが染み付いた服をもっていくと、いつもとは違い無口で、裏から何やらもってきて「これやるよ」と中東の民族衣装をくれました。
それからニオイ、何度も何度も洗ってくれて、本当にニオイ分からないくらいまでやってくれたみたいです。かなりディスカウントしてくれた上にです。

僕がありがとうというと、無言で握手してきます。でも2ヶ月もすると、いつものファキン!!、○△□!!、××△!!、、が飛び出しましたが、、、。

その節は本当に有難う御座いました。

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会社にパートタイムで働いていた日本人の奥さん、もともと旦那さんが日本の商社マンで転勤でアメリカに来て、グリーンカードを取り、家を買い、定年後二人でこちらで暮らすことにいている方です。

旦那さんはその時転勤で再び日本へ、奥さんだけ残り、旦那さんはお休みの時にアメリカに帰ってくる生活。
奥さんは時間をもてあますのがいやで僕が働いている会社でパートタイムで働いていたのです。


モーテルを出てから、何というか、僕はその方の家にしばらくお世話になることになりました。


火事から3日後、再び焼け焦げた家に戻りました。暮らせないことは一目瞭然です。

大家さんの態度は最初の日と変わっていました。
どうやら「弁済」のことを心配しているみたいです。
家には保健は入っているけど、でもあなたの家具、それはカバーしないのよ。
家具はね、自分で保健に入らなくてはいけないのよ。
火事の原因、まだ分からないのよ。
わかったら知らせるわね。
でもあなたには保健おりないと思うのよ。
それからモーテル代は今月もらった家賃から差し引いて残りを小切手にして会社に送っておくから。
何かしてあげたいんだけど、私たちはもうリタイアしていて、お金もないし、そういうことなの。


わかりました。とだけ言って荷物をまとめて立ち去ります。

もう何でもいいです。僕は日本人、ただ一言「ごめんなさい」で、良かったんですよ。



奥さんと奇妙な同居生活が始まります。
当事彼女は50代前半、僕は20代後半でした。

お二人にはお嬢さんが一人いましたが、ボストンの大学に入ったばかりで、そこで寮で暮らし始めたばかりでした。3人ばらばらです。でもクリスマスは皆で必ずこの家で過ごすそうです。

そこはとても素敵な家でした。
決して大きな家ではありませんが、隅々までお二人のこだわりが行き届いていて、家具、調度品の類までセンス良くまとめられています。

僕は当事タバコを吸っていたので、滞在中家の中庭のベンチで吸っていました。
時々彼女はそこに現れいろいろ話をしてくれます。
考えてみれば会社にいるときはそんなに親しくもなかったし、第一接点があまりなかったのです。
でも彼女はこうして僕を救ってくれました。

同じ日本人、言わなくても分かる、海を越えてやってきたものの共通のバックボーン、苦労もしたし、でもそれ以上に良いことがあった。それが瞬時に分かる、そう彼女は言いました。

「困った時はお互い様だからね」

お互い様って、僕は一方的に世話になっているんです。

お互い様なのよ。
私と主人がここにはじめてきた時、主人はともかく私はまったく英語も分からない、それこそ右も左も分からない、子供以下、でも、周りの皆が本当に親切にしてくれたの。それも当たり前のことにように。

でも今なら私は分かる、今私があなたにしているように、本当にそれは当たり前のことなのよ。
そしてあなたも、また次の人にそれをしてあげるの。
それがお返し。
大丈夫、その時になれば、義務感ではなく、自分から心からしてあげたくなるから。


あなたが私に恩返ししようとしても、それは無駄なこと。だって私は困っていないから。恩は今困っている人へ返せばいいの。

「困った時はお互い様」そういう意味なのよ。



僕は次のアパートメントが見つかるまで、結局約1ヶ月そこでお世話になりました。


その時も知り合いの日本人駐在員の方から、帰国するからと、家具を譲ってもらいました。

今思い出しても、本当に僕のアメリカ生活は人のお世話になってばかりでした。


僕が異国で長い間暮らしていけたのは、そういうたくさんの人のやさしさのおかげでした。



異国で暮らすいうことは、誰もがたった一人で何かと立ち向かわなければいけない瞬間があります。
言葉の問題や習慣の違い、それは今まで味わった事のない強いストレスがかかります。頭は真っ白で、ふらふら、限界点、これ以上何一つものを考えられません、そういう今まで味わったことにない疲れを感じることが、たまにではなく、度々あるのです。そしてそういう体験は異国に住むものなら誰もがしています。

そして今があります。だから今があるのです。この幸せを味わうことができるのです。

はじめて訪れた人の今の感情が理解できる、あの時の自分を思い出す。今きっと辛いだろう。今もう限界だろうと。
だからこそ人にはやさしくなれるのだと思います。


それは常に受け継がれたきた良き伝統。

困った時はお互い様。



今彼女は定年を迎えた旦那さんとあの素敵な家で幸せに暮らしています。
もちろん今でも困っている人を見かけたら、自然に「恩返し」しているのだろうと思います。







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2008年05月12日

海外生活、孤独は結構楽しい。

ハロウィン用のお化けカボチャを売っていた空き地が、そのままもみの木売り場に変わる。

そんなアメリカの師走の風景。

エッグノッグラテを飲みたくなる季節。

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この時期はサンクスギビングの頃から、ハッピーホリディの季節だ。

意外に休みの少ないアメリカで、この時期はまとまった休みを取り里帰りをする人が多い特別な季節、家族と再会する季節だ。


僕たち外国人はこの時期からクリスマスまでが何となく寂しい。

おまけにアメリカの休日、特に祭日は他の外国と同じ様にお店はほとんとやっていない。
行き着けのカフェもこの日は午前中でクローズ、街はひっそり静まり返る。

僕たちの行き場所はない。
家族と過ごす日なのだ。

僕は基本的にこういう日はチャイニーズのレストランで過ごした。
ありがたいことに彼らはこの異国でも自国の習慣を守る。
クリスマスより旧正月が大切なのだ。

でも想像してみてください。アメリカのクリスマス、チャイニーズレストランでチャウメンを啜る日本人、
随分寂しい風景でしょう?
だから僕にとってはアメリカのクリスマスというのは、昔観た古いアメリカ映画のように、田舎の家族と七面鳥を囲む風景ではなく、チャウメンを啜り、チンタオを飲む、チキンがおまけ、そういうクリスマスが現実のアメリカのクリスマス。

ニーハオマーです。


クリスマス明け、ブロードウエイの行きつけの古本屋に3時間、粘る。
もちろんコーヒーとクッキーを持参して。
階段の踊り場に胡坐をかき、慣れない英語の小説をゆっくり時間をかけて読む。

時々目が疲れると、だだっ広い店内を散策する。
外国本、当然まともに分類されていない。
ふと日本の文庫本を見つける。
池波正太郎?
アラビア文字の本の隣に並んでいる。どこの国の本と思われたのだろう?

池波君、君はどうやってここにたどり着いたんだい?
ふとその冒険話を聞いてみたくなる。

この季節、人恋しくなる、そして今まで出会えたいろいろなものに感謝したくなる、そういう季節。

クリスマスのチャウメン、イタリア人街のカフェでドピオを飲みながら池波正太郎。寒い時期にそんな出会いも悪くない。
孤独と出会い、話しかけてみる、たまにはしっとりじっくり孤独を味わってみる。
それも海外生活の楽しさのひとつだと思います。

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2008年07月03日

ドバイで、再び出会いたい。

会いたい人たちがいます。

アメリカで出会えた外国人の友に、、、、そして渡米前の日本の友人たちに、、、。

今どこで何をしているのだろう。

ともかく元気でいてくれたら、それを願うだけです。

そして大袈裟ではなくお互いの人生の中でもう一度、どこかせめて、すれ違うことが出来たら、、、、。

日本に戻ってきた今、もちろん毎日ではありません、でも時々街を歩きながらつい誰かを探してしまっていることがあります。

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言い訳になりますが、当時携帯電話は普及していませんでしたし、ウインドウズはまだ発売前でした。
住所と電話番号、手紙か電話、連絡手段はそれだけの時代でした。

それでもまめに連絡を取り合い、連絡先をきちんとノートにメモしていたら、今でも連絡を取り合うことはできたはずです。

僕の不精のせいで今では偶然の出会いを待つ以外再び出会うことはできません。


キミは今もカリフォルニアのどこかの街にいるだろうか、
それともデトロイトに向かっただろうか、
それともソウルへ帰っただろうか、
あるいは国を変えニュージーランドで暮しているだろうか、、、。

MIXIで探そうにもキミは日本語読めないし、ソウルや中国にでも居られたら、英語以外の言語、今度は僕に分からない。

どうして、最後に会った時、キミのソウルの実家の住所聞いておかなかったんだろう、、。


携帯電話のCMをするつもりはないですが、今は本当に便利になりました。
今なら、携帯の番号、メールアドレスそのどちらかでも分かっていれば、連絡つけようがあるのにね。
大切な人なくさなくてもすむのにね。

ほんと、そう思います。
今ならね、、、。


当時、僕が渡米した頃はポケベルがこれから流行り出す、そういう時期でした。

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連絡は当然家電か手紙だけの時代です。
僕も渡米した最初の頃は日本の友達に向けて手紙書いたものです。
時々電話もしたものです。
でもアメリカで、少なくても年一回、多い時には2度3度と引越しをするような生活をおくっているうちに、そして毎日どっぷりと生活に追われていくうちに、やがて筆不精になっていきました。

そのうちこちらが引っ越したり、向うが引っ越したり、ふと思い出して手紙書いた時には手遅れで転先不明になっていたりしました。
「ふと思い出して」っていっても、思い出すまで5年も経過していたらそうもなります。

実家の住所が分かってる人の場合なら大丈夫でしたが、東京で一人暮らし同士で知り合った人とはそのまま、結局それっきりです。

どこで何しているか、アメリカから帰国した今でも分かりません。

でも同じ日本人です。
今は海に囲まれた同じ陸地で暮しています。
だから可能性はあります。
いつかどこかで、この東京で突然ばったり会えるかしら、そのことは正直楽しみでもあります。


でもアメリカで知り合った外国人の友たちとは、やはりもう難しいかもしれません。

ただこんなこともあります。
去年僕がハワイに行ったとき、ホノルルのダウンタウンでばったり昔の知り合いに出会いました。
昔カリフォルニアに住んでいる頃よく通っていたカフェのママさんとです。
偶然です。
でもばったり出会ったんです。
その時はお互いほんと、びっくりです。「えっ、え、えー!」てなもんです。

そういうこともあるから、人生おもしろいです。

だから諦めてはいません。オーストラリアで、ドバイで、キミともどこかで再び出会いたいものです。

そしてその時、僕はキミに何て言おうか。

うまく言葉出ないかもしれない。
照れくさいかもしれない。
泣いちゃうかもしれない。

少し昔を懐かしみ、やがてまたそれぞれの現実に戻っていくだけかもしれない。


たとえそうだとしても、やっぱり会いたいのです。


元気でいてください。

元気でさえいれば、またいつかきっと出会うこともあるでしょうから。


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2008年07月15日

ギフトレシート

お中元のシーズン真っ最中です。

長らく日本を留守にしていた人間からすると、改めて実に不思議な習慣のように感じます。
相互ギフトではなく、上席者だけが一方的にギフトされるような仕組みって、やはり変ですよね。

アメリカではクリスマスシーズンがギフトシーズンです。デパートはものすごく込み合います。一番の稼ぎ時です。

でもこれ相互ギフトです。
プレゼントを貰い、プレゼントを頂きます。

家族、友人、隣人、職場の人間とスモールギフトを交換し合います。
お世話になっているのはお互い様です。どちらが上でも下でもありません。
役割が違うだけです。上司も部下もお互いの役割を精一杯果たすことで、お互いが潤うのです。一方的に世話になっているんでは、そもそも雇用されません。

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プレゼントはマグカップとかチョコレートとかマフラーとか様々です。

日本だと調理油とかビールが多いですか?
相手の欲しい物分かりません。だから無難なものをギフトします。せめて邪魔にならないものをギフトします。「これ、欲しかっんだ、どうもありがとう」と言われるよりも「こんなもの、、要らないんだよなあ、、、」と思われないものを、、それが大切です。
日本らしいです。


当然チョコレートにもマフラーにも好みあります。
そもそもマフラーを使わない人かもしれませんし、チョコレート食べない人かもしれません。
じゃあアメリカ人はプレゼントする時相手の好みをじっくりと調査してからギフトするのかというと、もちろんそんなことありません。


アメリカには「ギフトレシート」という便利な制度があるのです。

こういうギフトシーズンにアメリカのデパートで買い物をすると、必ず「ギフトレシート要りますか?」と訊かれます。
そしてそれをプレゼントにつけてギフトするのです。
プレゼントされた方は、もしサイズ等が合わなければ後日ギフトレシートを持ってデパートに行き交換するのです。
食べないチョコレートは返品し、食べたいハムに交換するのです。

アメリカのデパートで年間最も忙しいのはクリスマスシーズンです。
しかし日にちだけで特定すると、クリスマスの翌日が最も忙しいのです。

そうです。このギフトレシートを持ってくる人たちのためです。

このレシートには建前上値段は表示されていません。
でも交換したら当然簡単に値段は分かってしまいます。何ともそこがアメリカらしいところという気がします。


プレゼントしていただいた「気持ち」には深く感謝します。でもプレゼント自体はモノです。そしてそのモノは自分は使わない、だから使うモノに交換しよう、そういうことです。


だって、いくら無難とはいえ、油とビールばかり今年もそんなにもらったら、やっぱり邪魔ではないですか? 



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2009年05月18日

外国人になるって、、。

例えばあなたはどちらのタイプですか? 

外国で暮らしている誰かと接している時、ふとその人のことを「外国人になった」と感じる時、それは「肯定」からの気持ちだったですか?

それとも「否定」からだったですか?  


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外国に暮らすようになると、当然環境は一変します。

その環境に適応していく度に、我々自身も変わってきます。


大げさに言えば、変わらなければそこで生活していくことも困難です。

でもその「変化」、「適応」にも個人差があります。

その国に溶け込みその国の仕事をし、その国の人たちと共に生活している人たちと、母国の文化に関わった仕事を母国の人たちと共にし、その余暇ですら母国の生活習慣を多く取り入れた暮らしをしている人たちとでは、その考え方はまったく異なります。 

ともすれば異国で母国語で暮らしている人たちの方が、その国で住んでいる時間が長くなれば長くなるほど、ステレオタイプの考え方が染み付いてくることが多いように思います。

同じように、でもその国の言語で長く暮らしている同胞の人たちからたくさんの話を聞くうちに、まるでそこで自分が体験したような錯覚と共に、知らぬ間に知らない記憶が刷り込まれてくることも多々あることです。
 「何人はこういう人たちだ」、「彼は何人だからこういうところには気をつけろ」、、、、。

異国で、そういう話を、現地に住む日本の人から良く聞く話です。

実際に悪い体験をしたのかもしれません。

でも何度も何度もということはなかったでしょう。

せいぜい一度や二度、それに同胞の話も加わり、いつしか全てのナニ人はこういう人、、、ということに、そういうイメージになってしまってしまう。

それに昔から語り続けられていたステレオタイプのイメージまで、頑なにそのベースに残ったまま、「ナニ人はこういう人たちだから気をつけろ」になってしまう。



 
日本人は「勤勉で、器用で、自己主張をしなくて、団体行動を好む、エトセトラ、エトセトラ、、、」そう昔から言われています。

あなたはこれらにどれだけ当てはまっているのですか?


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知らぬ間に刷り込まれた記憶と、たった一度だけの強烈な記憶。

これが入り混じって、過度な緊張の続く外国生活の中で、自己防衛としての様々なモノやヒトへの定義づけが生まれてくるのかもしれません。

安心するためです。
 




あなたが思う「外国人」に対しての、あなたの知らぬ間に作られたイメージがもし「負」のものだったとしたら、あなたの使う「外国人になった」と言う言葉は否定から来ているのでしょう。

どこでそのイメージを刷り込まれたのですか?

あなたの体験したその強烈な記憶、、、。


その場合の「外国人」とは、実は外国人でなかった、ということが多いものです。
その場合の外国人とは、外国人になったように見えた日本人であったことが意外と多いものです。


悲しいことに同胞にだまされることが意外とあるのです。

日本にいても外国にいても、そういう輩は存在します。


あなたの隙を巧みに突いてくる嫌な輩です。


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あなたの隙とは、例えば「言葉」です。

そう言ってしまうと身も蓋も無いですか?
 


でも本当にはそれ以上に「自信」と「覚悟」なのです。



あなたには今まで立派に厳しい日本で生きてきた事実と経験があるのです。

寄生虫のようなそんな輩に、大した外国語もほんとうにはできない輩に頼る必要はないのです。
(まともにその国で生きていっている人たちは、寄生はしません。そんな暇すらないのです。)

 
つけこまれないように、、。

 
やれることは自分でやるように習慣付けてください。 

簡単なことまで他人に頼もうとするから、そういう簡単なことしかできない寄生虫が沸いてくるのです。 



「外国人になった」

あなたにもいつの日か、その言葉を誰かへの褒め言葉として使って欲しいと願っています。
   


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2009年05月25日

ハワイは避暑地です。

昔、真夏にわざわざハワイに出掛ける人たちのことは理解できなかった。


どうしてこんな暑い時期に、わざわざもっと暑いハワイくんだりまで、、。



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でも僕は知らなかったのだ。

 

真夏のハワイがこんなに快適だったなんて。

 


ねっとりとまとわりつく日本の夏。


無風状態と高湿度。

それに比べて、8月のハワイ、、、


気温は30度ほど。
常夏のその島は、四季の気温差があまりない。
冬で27、8度、夏で30度程度だろうか。


時には40度以上にまで気温が上がる埼玉やラスベガスの夏とは大違いだ。



実はハワイの夏には避暑地としての一面もあるのだ。


そこに年中吹いている北東からの貿易風。


太平洋の孤島ハワイには、どこにも邪魔されない天然の北東からの風が吹く。

トレードウインド、、、、。


亜熱帯のその場所、人が住めないほど乾燥はしていない、でも苦しいほどの湿度もない。実にさわやかだ。

そこにあるのは程よい湿り気。
汗が蒸発しても肌は潤っている、そういうぎりぎりの湿度。


そして常時涼しい風が通り抜けていく。

 



常夏の快適な気候。


風を感じながら木陰で読書をし、やがてうたたねから目覚め、そのまま歩いてビーチで一泳ぎ、、、、、

やはりここは奇跡の場所なのだ。



真夏のハワイは「泳げる避暑地」なのです。




 
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僕達は人と接する時、意外にいつもその相手の一つの面としか触れ合っていないものだったりするものかもしれません。

 

でも当然相手には別の面もあります。僕らがそうであるように、、。



 

ひょんな時に、環境が、事情が、変わり、慣れ親しんだ人とその人の別の面で接する場合になることは、実はごく稀だが、でもごくたまにあります。


その時僕らは驚くでしょう。


「こんな人でなかった」そう思うかもしれない。

「見損なった」そう思うかもしれない。

 

でもその人が変わってしまったわけでは当然ありません。


ただ、ごく稀な、奇跡の確率で(環境の変化などによる)、たまたまその人の別の面とその時僕らが接してしまうことになってしまったまでのこと、、。

 

だからその人は、今でもやさしいその人のままです。

今でも頼れるその人のままです。


ただそういう面も持っていた、、、そしてそれを知ってしまった、、、、。
 


さて、いったいこれからどう接していったらいいものか、、。

 



でもそれを、「今」判断しなくてはいけないということはありません。



「今」感じたその感情、、。



その感情を否定する必要はありません。



でもだからといって、今まで抱いていた、今まで感じていた、あの人の愛すべき面までも全て否定しないでいてください。

 



これだけは言えます。

やはりあなたとあの人は、ある確率に則り、とても素敵な奇跡の出会いをしたのです。

 


そのことを、知られざるあの人のたった一つの面と遭遇しただけで、今までのその全てを否定してしまうことは、もったいないことです。

 


入り混じる感情と気持ち、、、、。

その時、その場所で、その環境で、様々に変化していくことは自然の流れです。


その時その時で感じたその感情、その全てがそのどれもが正しいのだと思います。




だって生きているのです。


だから、矛盾は当たり前のことだと思います。





ただもう少し、、今少しだけ、、

時間が通り過ぎていくのを待っていて欲しいと思います。
 
  




 


 
  
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2009年06月16日

5年振りの帰国

とても清潔ではあるけれど、何だかどことなくチープな、、、5年振りの日本の景色はそういう風に映った。

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無計画に重なり合った派手な色、色、色、、。

都内へと向かう高速道路の窓から無数の標識や看板が移っていく。

洒落た近代的なデザインのビルディングの隣には、何故か真っ赤な2階建ての家。
そしてその屋根の上には巨大な栄養ドリンクの看板、、、、。

ここは日本だ。


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「イラッシャイマセー↑、コンニチワー↑」、「コチラデヨロシカッタデショウカー↑」、「アリガトウゴザイマシター↑」
独自のアクセントと独自の発音、でもそこには、感情はまったくない。

決められた言葉を決められたタイミングで話しているだけだ。

「自分の言葉で話してはならない」、まるでそれが社会人としてのマナーであるのかのように。

もし自分の頭で話す言葉を決めれるのなら、誰もこんな不思議な呪文を話さないだろう。

そんな語り掛けに対して誰も返答することはない。
語りかけは常に一方通行だ。

語りかけている当人にしても、もともと誰かに話しかけているわけでないのだから、つまり奇妙ではあるがこれは当たり前の光景なのだ。


返答することを前提としない掛け声が存在する。


ここは日本なのだ。


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大人が二人やっと通れるほどの歩道を、「チリンチリン」と自転車のベルが後ろから鳴る。

「どけ」ということ?

おいおい、突然のベルで人を驚かせた上に、当たり前のように「道を譲れ」とでも言いたいのか?

でももちろん後ろから言葉は発せられない。

ここは日本なのだ。

「リンリンリン!!!」が言葉代わりなのだ。


そうだった。

今思い出した。

ずっとこんな狭い歩道を歩いたことがなかったので忘れていたのだ。

ベルの音がしたら、歩行者は後ろから来る自転車に道を譲らなくてはいけないのだった。

何しろここは日本なのだ。
 

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一流の経済の国。

とても忙しい日本人。

時間がもったいない。

急がなくては、、、。



だから駅では、やって来た電車に我先に乗り込む。

急ぎ過ぎて前の人のかかと踏みつけても気にしない、仕方ない。

だってこれは不可抗力、よくあること、当たり前のことだから。


そんなことで謝る必要があるとでも言いたいのか?

 
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5年振りの帰国。

同じ看板の下で同じ言葉が繰り返し語りかけられている。

同じ街並み。同じ駅前、同じチェーン店、同じロータリー、、、。


「イラッシャイマセー↑コンニチハー↑」

まるで何かの台詞みたい、、、。

でもそれ、まるっきり棒読みだよ、、。


見えていますか?僕はあなたの目の前にいますよ。


でもあなたは言わなくてはいけない言葉を言うことに懸命で、、、、。
 

きっと僕のことには気付いていない、、。


久しぶりの日本。

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昔に比べて、「繊細さ」と「鈍感さ」の幅が大きくなりましたか? 


個人的に逢う一人一人は、とても気持ちが細やかで、親切で、皆とてもいい人ばかり。

それなのに街で、通りで、電車で、エレベーターで見かける人たちに、苛立ちが見えるのはどうしてだろう。

どちらかが特別なのですか?

あれだけ細やかな感覚を持つ人たちなのに、一歩離れて群衆の一人になってしまった途端、どうして自己中心となってしまうのだろう。

いつもの細やかな想像力はどこへ行ってしまったのでしょう。
 


映画を見て感動の涙を流しながら、足元では食べ残したごみをイスの下に押し込んでいる。
感動できる美しい心がありながら、自分のやっていることに対しての罪悪感にはきっと気付いていない、、。 

我が子をのびのび遊ばしてやりたい、そのために周りへの、他人への配慮までは気が回らない。
「我が子」とそしてそれ以外。

いつの頃からそういう線引きができたのだろう。
わが子もよその子も大して変わらなかった頃。
他人様への迷惑を第一に考えていた頃。
 



久しぶりの日本。

何かが変わったのかもしれない。


何しろここは忙しすぎる。

そしてとげとげしい。

何にいらだっているのだろう、、、。
 


朝早くから深夜遅くまで何かに追われ、でもそれでもいつもそれを最高の形でやり遂げる優秀さ。

何しろここは勤勉な国、日本。

無理をします。
無理してもやります。
 やり遂げてみせます。

だってここは日本。
そうしなければ生きていけないのです。
取り残されるのです。 

私だって僕だって癒されたいですよ、ほんとは。でもね、、、、、

でもね?


自己中心とは想像力の欠落から始まってくるものです

悪気はないのです。
ただわからない、ただ見えていないだけなのです。

周りが見えない。気が付かない。
 



どうしてこんなに忙しい国なのでしょう。



確かにとても優秀でした。

やり抜いて、やり遂げました。
  


でも残念ながら壊れてしまいました。



何を得ましたか?


欲しかったものは手に入りましたか?


そもそも欲しかったものは何でしたか?





 
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2009年12月09日

ホノルル出張(4) ヒロへ

昨日ホノルルからワンデイトリップ(日帰り)でヒロへ行った。

朝7時発の飛行機に乗り、一路東へ45分。

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土砂降りという予報は外れ、淡い曇りのヒロの朝。 

かすかなミスト。
 

それはノスタルジックなヒロらしい朝だった。



 
空港でレンタカーに乗り、顔を見せないマウナケアの方向へ車を走らせ、最初の信号を右へ曲がる。

ヒロの朝食と言えばやはりパンケーキだ。

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「2×4(ツーバイフォー)」というパンケーキ4枚に卵2個をオーダーする。


2枚をオリジナルシロップで食べ、あとの2枚はココナッツシロップで食べる。

褐色の肌のウエイトレスたち、ごつい体をもてあましたタフガイのお客達でにぎわう店内を眺め、再びこの街にやってきたことを感じる。
 

ヒロだ。



11号線から130号線へと乗り換え、やがて右手に新設のショッピングセンターとそしてまた更に拡張工事中の隣接敷地(ウオールグリーンができるらしい)を眺めながら左に曲がる。

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随分便利になったものだ。





さて、ここが「事件の地」。

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しかし日本で起こっている諍い事の地とはとても思えないほど、目の前のここは、緑溢れた、、、牧歌的で、、、、つまり田舎の原野の景色だ。

無垢な本当のハワイの地だ。


昔に比べて住宅は多くなったとよく聞いていたけれど、でも実際の印象はまったく昔と変わらない。
目にするのは右も左も緑と木の景色ばかりだ。


たまに見かける目新しい住宅の横には「フォーセール(売り出し中)」の看板がやたら目に付く。

この地の住宅価格が数年前に比べて半分以下へと大きく下がり、しかし同時にそれは昔ながらのプナ地区の不動産事情に戻ってきたということでもあり、だから買い手の層も昔のそれに戻ってきている。

例えば一般的に、ハワイで日本円で5千万円以上の物件を求める買い手なら、景色や設備や、快適さを第一に求めるだろう。

しかしこの地域には今ではもうそのような物件も、買い手もいない。

今ここを買いたいという人の興味は、広さとか維持費の安いこと、、、、、そういう昔そうであった条件を今また希望する買い手の層へと戻ってきている。 

何といっても土地に至ってはこの辺りは生土地なので、金額的には極端にいうともともとほとんどタダのようなものなのだ。 

でも気をつけなくていけない。 
価格が安いからといって簡単に変な土地を一旦所有してしまうと、そこを住宅として完成させるまでに掛かる費用はあまりに高額になってしまうので、十分に気をつけなくてはいけない。

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アフリカ産のジャンクツリーがあまり生えていない区画、下がっていない土地(くぼみのない土地)、下に硬い岩盤が無い土地、太陽の差し込む区画、水の供給のある区画、そして自治管理組合に加入している区画。

まだまだいろいろあるけれど、最低この位の条件はクリアしていたい。

もし区画に大きなジャンクツリーが生い茂っていたら、それを伐採するのに掛かる費用のあまりの高額さ、、、!!
それはもともとの土地代以上に高額であることは普通だし、たまには建築費用をも大きく超えることだってあるのだ。


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どうか忘れないで下さい。

土地は建物と違い決してお金を生みません。家賃を取る事は出来ないのです。

だから逆に一旦変な土地を所有してしまうと、掛かる税金の他に、無駄な経費(伐採費、整地費、トラブル解決費など)が莫大にかかりますし、またもともとただでさえ売れにくいこの地域の不動産です。

こういう変な土地を所有してしまうことの最大のリスクは、「処分することが困難」、ということなのです。

タダでもいらない。

そういう場所はあるのです。

(そして安い売り物件はいつでも限りなくある、ここはそういう地域なのです。)  



本当のハワイの大自然の中で、日本からなら信じられないほど安価でまともな物件を確保し、ノスタルジックなこの街で、快適なハワイライフを送っていただきたいものです。 


そのためには、、、「疑って下さい」、「どんどん質問して下さい」、そして「真実を知ってください」 



ホノルルからたった一日だけ、ほんの少し離れただけなのに、ものすごく遠くに行ったような、別の世界に行ったような、そんな錯覚に陥るそこはノスタルジックな、懐かしい街。 

ハワイ、ヒロ、、、。

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ここはふるさとに戻ってきたようなそんな気分にさせてくれる、そういう母なる街です。


マハロ、、。


ハワイ島不動産(ヒロ地区でのある事件)についてや
他の
ご質問お問い合わせは海外ロングステイ相談室までお気軽にどうぞ。 


追申:
12月12日までハワイに滞在しております。
したがいましてその間日本の携帯電話には出られませんし、
またFAXの受け取りは適いませんのどうかご了承下さい。
Eメールは通常通り、ハワイ滞在中も変わらず受け付けております。
ハワイで現在使用中の携帯電話の番号はその時お知らせいたします。
(もしくはこちらからお電話申し上げます)


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posted by 海外ロングステイ相談室 at 06:56 | ホノルル ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | ○海外ロングステイのエピソード

2013年02月04日

桑港の語学学校

今から二十年ほど前(もうそんなに経つんだなあ、、)暮らし始めたサンフランシスコで、いわゆる「語学学校」というところに通っていた時期があった。


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実はこの前年、約2ヶ月に渡りニューヨーク、LA、アルバカーキー、サンフランシスコと点在しながら放浪旅行をして、そして気候や文化、雰囲気が一番気に入ったサンフランシスコを暮らす街と決め(最後までNYと迷ったけど寒さがどうしても苦手で、、)、その上で調べに調べてI―20をきちんと発行してくれる中で学費の一番安い学校を探した。

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2ヶ月の旅行を終え帰国後、さっさと住んでいたアパートを解約し、そして翌月から長野県の高原野菜農家へ住み込みで1シーズンを過ごし金を貯め、改めてF-1ビザを5年分もらい片道切符でサンフランシスコへ向かった。


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サンフランシスコの語学学校には結局数ヶ月で行かなくなった。

幸い仕事が決まり
E―2という種類の働けるビザを取得できたからだ。


学費を支払ってI―20を維持していく必要がなくなったということだ。


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そういう短い語学学校の体験ではあったけど、それでも初めての海外生活での、初めの語学学校体験だったから、その数ヶ月は新鮮で印象的で驚きだったことは今でもよく覚えている。




語学学校での最初のクラス分けペーパー試験で僕はインターミディアという真ん中のレベルのクラスに振り分けられた。

でも最初の授業で先生の言っていることがまったく聞き取れず、即二時間目からビギニングのクラスに変えてもらった。


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サンフランシスコという土地柄かクラスメイトの過半数がアジア系の人たちが多く、年齢層も実に様々だった。

当時20代だった僕などのちょうど母親世代のクラスメイトも相当数いて、そして彼女たちはかなり拙い言葉で、でも堂々と積極的にクラスの唯一のアメリカ人である先生に質問を繰り返していた。


時には授業は進まず、先生は苛立ち、でも彼女たちはそんなことにはまったく動ぜず、何度も何度も繰り返し繰り返し必死に言葉を身に付けようとしていた。

彼女たちの英語のレベルは実際に相当に低かった。


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海外でサバイバルしていくためには、自身の欲しいモノを相手に伝える力が特に必要になってくる。


相手に懸命に自身を伝えること、そして相手を懸命に理解しようとすることが、とても重要なことなのだ。




「まあ、いっか。」

それ
では生き残れない。




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戻る場所のない彼女たち、一族で協力し合いながら、一人ずつ海を渡ってくる彼女たち。


一族の一人が働ける別のビザを取れるようになれば、次はその家族ということで取得可能となるビザでまた他の人間が海を渡ってくる。

よりよい生活を求めて。家族が一族が生きていくため。




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きっと彼女たちにとっての「ふるさと」とは、「場所」のことではなく、「家族」であり「一族」のことを指すのだろう。


だから家族さえしっかりしていれば、例え政治情勢や国際事情の変化で住んでいた土地にいられなくなっても、その土地を離れざるを得なくなっても、それでも生き延びていく、家族で支えあって生き抜いていく。

土地を離れることは悔しいことではあるけれど、でも家族さえ無事であれば、家族さえいてくれれば、また新し地でそこをふるさととしてみせる。


そういう強さたくましさを感じる。


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サンフランシスコには大きなチャイナタウンがある。

そこはいつも活気に満ちていて、そしてそこだけサンフランシスコでありながらあたかも別の街のようでもある。


彼らはそこでクリスマスも働き正月も働き、そして旧正月を盛大に祝い休む。

海外の日本の二世三世がどんどん日本語を解さなくなっていくのに対して、彼らは例え外地で生まれても母国語と英語をどちらもきちんと解する。そういう教育を施す。


もしかすると日本人は「場所」に吸い込まれていくのだろうか。



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サンフランシスコには実にたくさんの街がある。

もともとカリフォルニア自体が多民族州であるけれど、更にもっとこの街は顕著だ。


チャイナタウン、イタリア人街、ロシア、日本、グリーク、コリアン、ヒスパニック、、、、他に国や民族ではないけど、ゲイ、ヒッピー、ニューエイジ、エトセトラエトセトラ、、、狭い面積のこの街に実に多種多彩の人が混在しているのがこの街のおもしろさだ。


でもよおーく見てみると、自身の国をそのまま持ち込んでくる傾向の強い民族と、逆にその国に同化しようとする民族があるように感じる面が少なからずある。



近年この街の日本人街の規模が小さくなっていること、そしてそれは何もこの街にだけ限ったことではないことを想っても、日本人の中には「郷に入れば郷に従え」の感覚が割と強い民族なのかな、ともふと思ってみたりもする。


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今の僕は仕事柄ハワイの現地で暮らしている日本人と会う機会が割とある。


彼らの風貌は概ね現地の景色にすっかり溶け込んでいるように僕には見える。


まるですっかりハワイで生まれ育った人のように見える。


同化力が高いのかな、とまた思ったりもする。


でも一方では、そんな風貌なのに、日本人としての想いを忘れていない人たちもこれまた多い。



逆に日本に住んでいる日本人の想いとはまったくに比べ物にならないほどに、その想いは相当に強い。


真っ黒に日焼けし、ビーサンを履き、ショートパンツに
Tシャツ姿で、でも日本を語る。母国を論じる。相当に強く。


遠い海の向こうから、ヤシの木の下で、あるいは金門公園で。


同化力と右傾化、、。

相反するものが共存している。

押し合い引き合い。自らの中でバランスを取ろうとしているかのように。実際そうなのだろう。


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20年前桑港(サンフサンシスコ)の語学学校に数ヶ月通った時に、よく作文の授業があった。

これは英語の勉強という技術的なことだけでなく、この作文には自身の考えを相手に伝える主張するという意味合いが強かったと思う。

そのことはつまりそもそも主張するべきものがないと、英語の語彙の問題以前となるということであり、僕はいつも頭が痛かった。


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英語を使い何をするか、せっかく共通語として英語を使うのだから、その内容は「もともと相手も知っている主題をベースに」か「相手に理解できるような説明の仕方」を学びたい。



もともとのベースがないところでいきなり歌舞伎の十八番について話をしてもそれはなかなかうまく伝わらない。まずは最初に歌舞伎とはなんぞや、という辺りから話していく必要がある。


文化風習の違う相手へどういう風に伝えていくか、それはまず相手を想像するところから始まるのかもしれない。

日本にいると皆が当たり前のように「空気」を読み合うので、言葉を省略したり、前置きは省いたりするけど、でも省いたそれが海外生活では実は必要となることが多い。


外に行くと「空気」は読んでくれない。そもそも始めから同じ空気を共有していないのだ。



だから懸命に自身を伝えなくてはならない。

懸命に相手を理解しなくてはならない。


そうしないと異文化で育った人たちとはうまく交流ができなくなる。


交流できなくなると、せっかく海外にいるのに「空気」を共有できる人たちとだけつるむようになる。

それではせっかくの海外生活が、実にもったいない。



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「空気」を読むことは日本に置いておいて、海外生活ではまず、人と人との基本の基本、「ともかく目の前の相手をよーく見る、そしてよーく想像する」ことから始めたい。



20年前の桑港の語学学校で出会った、あの空気を読まない、でも生きることに、生きていくことに懸命なおばちゃんたちから僕は、現実を見る、目の前だけを見る、「今この時を生きる」、その重要性を学んだ。


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今日も桑港の中華街では「ニーハウマー」と20年前のおばちゃんは大声で言っているだろう。


おばちゃんはもう英語は話さない。

その代わりその地で生まれた彼女の息子と娘が、彼女の代わりに流暢な英語を話し、そして家やコミニティー間では厳しく躾けられたマンダリンを話す。

前向きに、現実的に、そして今を生きる、ただ懸命に。




20年前の桑港の語学学校で出会ったおばちゃんたちからは、たくましく生きるとは何ぞや、そういうシンプルさをまるごとに見せてもらった気がした。


だからその前年一人で米国を横断し放浪したことなど、あっという間にふっとんだ。

僕の放浪はただの自己満足な内向きな旅行でしかなかったとその時に気がついた。

風景を見て、自分と語り、貧しさを疑似体験し、自分を褒め、大柄の米国人に囲まれて自分までその一員になれたような高揚があり、、、、でもそんな子供じみた感覚が、恥ずかしく思うと同時に、ようやくに何かが吹っ切れたようにも感じた。

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たくましく生きる、ただ目の前の今を生きる。


きっとそんなおばちゃんたちが今日もまた、桑港の語学学校で米国人の先生を質問攻めにしているのだろう。


何しろただ英語が話せないだけで、そもそも背負っているものや覚悟が違うのだから、先生には覚悟してもらわなきゃね
 
 



ニーハウマー
笹本正明     
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/ 

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2013年02月11日

カウコーヒーとアップルバナナのある土地

そうですか、まだそちらでは暖炉をお使いですか?

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多くの方の持つイメージとしてカリフォルニアは温暖な土地と思われがちですが、そこサンフランシスコだけは違いますからね。


まるで年中秋のような気候で、上着は夏でも必要な街ですものね。 


例えば同じシリコンバレーの街街から101でシティーへと北上する際には、サンフランシスコの入口はまるですっぽりと霧のドームとなっていて、大げさではなくそこに車ごとに突っ込んでいくという感覚になります。

ドームの中と外がもうすっかりと別世界、天気がまったくに違っています。(何より寒い、、。)


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そこは霧の街サンフランシスコ。

特に朝方の霧は本当にダイナミック、今では当たり前になった車のヘッドライトが自動で付くアレ、実はこの街発だったことが実感できます。
(ついでにあのマウンテンバイクも、やはり坂の街であるこの街発です)
  


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そういう街へ、昨日まで2週間ハワイにいて戻られては、、、、、またすぐにハワイが恋しくもなってしまいますね(笑)。  



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確かサンフランシスコはパシフィックハイツにお住まいでしたね? 


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ハワイでお会いした時に言いそびれましたが、実は僕もその昔、かれこれ10年近くベイエイリアで暮らしていた時期がありました。
 

ただ僕の場合はそのほとんどをシティーではなく、サンマテオとか、ミルブレーとか、バーリンゲームなどの、いわゆる郊外で暮らしていたのが長かったので、だから実際にシティーで暮らしていたのは最初の3年程でしょうか。 


パシフィックハイツに暮らしているなら、もしかするとユニオン通り辺りで日常の買い物を多くされているのでしょうか? 


当時僕は坂の向こうのユニオン通りではなく、逆の、手前側のフィルモア通りで多く時間を費やしたものでした。


フィルモアの坂道をパシフィックハイツへと上っていくにつれ、通りの景色やお店は次第により瀟洒になっていくのが非常に面白かったです。


正にサンフランシスコの「坂道の理論」がそのまま反映されていた感じがしました。

「坂道の理論」というのは、もちろん勝手な造語です。


この街のアップダウンのアップに位置するブロックは良い地域で、ダウンのブロックはあまり、、という、ざっくりとした乱暴な区分が言い伝えられたものです。

ただ物理的に高い位置にある地、例えばパシフィックハイツやノブヒルやロシアンヒルなどは確かにその名前のとおり高台にあり、確かに昔からの良い地域ではありますので、目安にはなりますね。 



ただ(ご承知のように)この街だって何も坂道だらけの土地ばかりではありません。

観光で訪れる人達の多くは、ダウンタウンやフィッシャーマンズワーフの辺りのこの街の東部で過ごすことが多いので、坂だらけという印象を受けてしまうのでしょうが、実は坂道は、フィルモアから西へ、リッチモンドとか、ゴールデンゲートパークの辺りには、もう坂はありません。(尚風は強いですけど。)

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そうそう第2のチャイナタウンと呼ばれるクレメント通りなどは、中心部の本当(?)のチャイナタウンに比べて、真っ平らで散歩にはもってこいだし、観光色もないのでもっともっと濃くローカルで面白いですよね。
(実は僕はこの辺りの8番通りのアパートメントに住んでいたことがあります)


そしてこのクレメント通りと並行してロシア人街があり、グリークがあり、この辺りは小さな小さな面積の地域の中で、実に多種多彩な国際色が味わえる地域でもありますね。



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更にはこの光景が、国際色が顕著なのはきっとコインランドリーの中、、、。
  

アメリカのアパートメントの多くは、特にサンフランシスコのそれは、昔ながらの50年100年前の建物を今尚現役で改装しながらに使用している建物が多いので、だからどうしても配管のメンテ上、各部屋に洗濯機を置けないという構造上の事情があります。
(でもその分、昔ながらの張り巡らされた温水のパイプでセントラルヒーティングが完備されていたり、がっしりとした暖炉と煙突が備わっていたり、窓枠が美術品のようだったり、あるいは手動開閉式の二重の重厚なエレベーターが日常仕様で現役だったりと、暮らすおもしろさも満載ですね)
 



だからアメリカのコインランドリーはさながら国際社交場の趣でもあります。 

またコインランドリーはカフェなどを併設している大規模なものも多く、そうなると本当の意味での社交場であり、また何しろ雰囲気があるので、その空間にいることが苦痛ではなく、どちらかというと居心地がいい。
(そもそも必要不可欠な施設なので、発展の仕方が日本とは違ってきます。)
 


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そこで洗濯機を回しながら、パンケーキを食べ、カリカリのベーコンを食べ、コーヒーを飲み、クロニクルの分厚い日曜版を読む。

この街でのまっとうな休日の朝の過ごし方です。



そうそうこのパンケーキ。実に美味いです。
そば粉入りのもの、オーガニックのもの、フルーツふんだんに、メイプルたっぷり、実に美味いです。
 


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アメリカで暮らして(これはハワイもやはり同じ)驚くことの一つに「朝食文化」があります。
 


あまり食事で(残念ながら)外国の人にほぼ褒められないアメリカの中で、この朝食に関してだけはなかなかに評判が良い。たぶん自慢しても良いアメリカ食文化のひとつだと僕は思っています。 



特に最大の驚きはその時間です。 

何しろアメリカではほぼ24時間いつでも朝食を食べることができるのです。 


ファミリーレストランやダイナーは昼でも深夜でもブレックファーストのメニューがありオーダー可能で、小さなお店だって日本のように朝11時までというのではなく、もっとたっぷり例えば午後4時までとか問題なく朝食メニューを選べます。 



今では日本でも知られてきましたが、そもそもアメリカでは昔から朝食専門のレストランというのが相当数有り、休みの日のブランチには評判のお店には長蛇の列ができ、そこで休日の昼日中パンケーキやらワッフルやらを家族団欒でほおばるのです。
(こういう文化が昔から根付いているので、今日本に上陸しているパンケーキの流行も、そもそも時間の問題だったということなのでしょうね。)
  

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アメリカの「朝食」は美味しい、そしてそもそもこれはひとつの文化なのだと思います。 

ディムサム(飲茶)でのブランチも楽しいし、ベトナムでシュラントロ(香草)をたっぷりと入れたヌードルも気分です。 


アメリカでの朝食は、アメリカならではの国際色もそのままに、多種多彩の朝食を味わえることでもあるのですね。



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さてハワイ。

ハワイでの僕はマックで朝食を取ることも楽しみしています。


選ぶメニューはいつも決まっていて、いわゆるご当地マックの朝食メニューをチョイスします。

ハワイのマックの場合「ゴハンを2スクープにスパムとポルトガルソーセージと卵焼き」の朝限定メニューがあって、これに(行儀は悪いけど)ゴハンの上に醤油を数滴垂らして食べるのが、ハワイでの僕の朝の定番のひとつです。

のんびりハワイで、でもアポイントメントに追われた朝にはこういうのは実にありがたいです。
 



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そしてハワイでの休日には、特にビッグアイランドでの休日では、朝市を利用することが多いです。

朝市でお目にかかれるのは新鮮な地場の野菜や果物だけでなく、地場のコーヒーや、はちみつ、ジャム、パン、ソーセージ類なども多種多彩にあるし、更にはその場で朝食を食べさせる屋台もあり、そこでロコに混じり食事をするのもいいし、採れたての新鮮な食品を持ち帰り、ハワイのおうちでラナイでブレックファーストも良い。
 


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そしてせっかくビッグアイランドまで行ったのなら、朝食のコーヒーには、お土産用に買ったコナコーヒはそのままトランクに入れておいて、朝食用に朝市で買ってきた地場のカウコーヒーを飲んでみましょう。 

実はカウ地区の農産物の質の良さはビックアイランド内でも有名で、更にここのコーヒー(カウコーヒー)は、知る人ぞ知るロコが愛して止まない地元民のための美味しいコーヒーなので(でもあいにくまだまだ収穫量の問題でなかなか日本では手に入りませんが)、訪れた際には是非地場でじっくり味わってみてください。 

そしてその時には、是非これも、このカウ地区ならではの「アップルバナナ」を食べることも忘れずに。

ねっとり濃厚で、それでいてさっぱりとしたほのかに甘酸っぱさもある小ぶりなバナナです。

クセになる味です。
   


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今回の滞在はホノルルだけでしたが、次回は毛色を変えていっそプナへも行ってみましょう。

そこはいい意味で自然いっぱいの、悪く言うとジャングルの地区です。

ただビッグアイランドの西側と全く違う趣がありますし、そして当然朝市に並ぶものも違います。


気分的には「森林浴」というつもりがいいのだろうと思います。

シャワーも降るし、コキの声も賑やかで、真っ暗な夜の地域です。

その分、空気は爽やかで虹が綺麗で、寝やすく、星が美しく。

何より帰り際に癒されていたことを実感できる地域です。

正に森林浴で、自然の恵みです。
 


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サンフランシスコへ帰り、さて最初に何を食べましょう。


パホアのマイクのニューヨークピザもすこぶる美味いけど、ノースビーチのピザもやはり美味しい地元の味。

マイケルアンジェロのピンクソースも捨てがたいし、カフェローマのトニーのドピオも忘れられない。

迷いますね。
 



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でも朝食なら、、迷わず、そして定番で。 

例えばヒロに行ったら、とりあえず、ケンズに行って、そしてパンケーキにコーフィ(コーヒーを英語で発音するとこんな感じ)を注文。 

じんわりと懐かしい、ほっとするアメリカの朝食の定番です。 

マハロ&アフイホウ
笹本正明
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/           


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posted by 海外ロングステイ相談室 at 11:49 | ホノルル ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○海外ロングステイのエピソード

2014年02月22日

ハワイ島で90日間、さて何をして過ごしますか?

 ハワイ長期滞在で、さてあなたは何をして過ごしますか? 

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1週間や2週間の滞在ではないので、マウナケアの雪も、ボルケーノの煙も、ワイメアのイチゴも、ホノカアのマラサダも、グリーンサンドビーチにだって、どこへも行けるし何でも食べられます。

でもハワイの長期滞在です。

2、3ヶ月あります。

さて毎日あちこちに行って、楽しいけど、でもやはりそういうハードなスケジュールで観光はくたびれます。

観光旅行は楽しいけど、もともと結構疲れるものでもあるのです。

地元産のおいしいビーフだって(本当に美味しいのです)、でも毎日レストランで手の込んだボリュームたっぷりのメニューばかりを食べていたら、胃だって疲れてくるのは当然のこと。 

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地元の食材を、ハワイの我が家で、日本と同じいつもの料理法で、食べる。

その時に日本の我が家と違うのは、ハワイの我が家での食事はラナイで、心地よい風の中で、食べるのも気分です。

景色はハワイ、風も空気もハワイ、食材もハワイ。

でも料理法もスタイルも家族たちも皆日本のままの我が家独自のスタイルのままで。
 

特別なことはしなくても心地よい、、そういうハワイのロングステイ。 

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観光旅行に毎日せわしなく行かなくても、たまに季節の変わり目に(ハワイにも季節はあるのです)、家族やここでできた友人たちと一緒に、一日かけて行ってみる。

あちこち分刻みで移動はせずに、一か所にだけおにぎりと卵焼きを持って、のんびりと出かけてみる。
 

あとは、、、、。 


生活のリズムはあくまで日本と同じ。

ハワイのロングステイだからといって、特に詰め込み過ぎない。

特に張り切り過ぎない。

ぶらぶら歩いてみる。

スーパーやストア、朝市をのぞいて歩いてみる。

隣や裏の隣人たちへ気軽に挨拶してみる。

話しかけてみる。

図書館から借りてきた日本の本をラナイで読みながらうたたねしている。 

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もし習い事でもしてみたければ、フラでもキルトでもダンスでも太極拳でも、英語でも料理でも、いろんな習いごとがほぼ実費のみで受けられる施設もあるので、地元の人に触れ合うという意味でも楽しみを通じて英語を覚えるという意味でも、そういうのに月2回でも通ってみるのもいい。

習い事そのものより、お仲間ができて、そのおしゃべりが楽しい、という風でももちろんいい。  


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観光旅行で訪れるハワイと、住む、ロングステイのハワイはまったくに違う。
 

場所に出会うか、人と出会うか。 


旅行から帰ってきて我が家が落ち着くのと同じように、日本からハワイの我が家へ帰ってもやはり落ち着く、ほっとする。

隣人たちとあいさつを交わし、友人たちとお茶を飲み、いつものスーパーでハワイ滞在時には欠かせない食材を求める。

ハワイでのビールを飲み、ポケを食べ、星を眺める。 


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日本の友人たちから、毎日何をしているの?と尋ねられればなかなかうまくは答えられない。 

さて本当に毎日何をしているのだろう? 


起きて、朝食を食べて、庭にブローをかけ、(家の中はほこりが立ちにくいこの島ならではの環境なので、掃除機は日本と違い3日置きに。でも庭はやたらに広いのでその分大変だ。)、ラナイで少し休んで、その後友人から聞いた評判の良いレストランへ行ってランチを食べ、帰りにダウンタウンをブラブラ、今日は火曜日だから割引のある店があったことを思い出し、ショッピングセンターへ出かけ、その後コーヒーをテイクアウトしてビーチ公園のベンチに座り一休み、そして夕食の買い物をして岐路につく。 


週末には友人たちとマウナケアへ行く。

来週はキルトの教室だから、それまでにホームワークをやっておこう。

ポットラックのための一品はさて何をつくろうか? 


毎日何をやっていると聞かれても、さて?と考え込んでしまうのだけど、日本でもたぶんそう。

日本で毎日何をしているかと聞かれたら、やはり即答はできない。

でもそれが多分生活というものだ。 

毎日普通に生活しているだけだから、何かを特別にしているわけでもないのだから。 

90日間ここハワイ島で普通に自分流に生活しているだけ。 

そしてそれは日本での生活と同じで特に変わったことをしているわけではない。

食べて寝て友人と過ごし、そういうこと。 

ただここがハワイ島ということだけが違うだけ。 


驚くほどのアロハのやさしさに毎日触れながら、精巧なエアコンでもきっとつくれない絶妙なバランスの心地よい気候の中で、そこでただただ普通の生活をするという、そういう日々。  

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特別なことは何もしない、ただ普通のハワイ島のロングステイ。 

さて、これからラナイで少し昼寝します。


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「お知らせ」

2月27日までハワイ島へ滞在しております。
誠に勝手ながらその間は日本で使用している携帯電話は通じません。
なのでご連絡の際には、ハワイで使用している携帯電話
(808)375-2440 宛に国際電話をかけていただくか、もしくはいつもどおりに aloha@hawaii-consultant.com 宛にEメールを送ってください。
(PCだけは世界中どこにいても常に持ち歩いておりますので、各所の
WIFIホットスポットから随時返信していきます。) 

アロハ
笹本正明

@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/
  

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posted by 海外ロングステイ相談室 at 04:54 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○海外ロングステイのエピソード