2008年03月16日

逆ホームシックと逆カルチャーショック

突然ですが、逆カルチャーショックって理解できますか?

知らない国に暮らすようになると、ホームシックとかカルチャーショックとか、そうなる人は結構います。その場合周囲はそういう状況に一定の理解を示してくれます。
でも、この日本で、逆カルチャーショックになっている人に理解を示してくれる人は、あまりいません。

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自分の国に帰ってきて、「あれっ、こんな感じだったっけ?」

周りの人たちは自分と同じ言葉を話しているはずなのに、同じ文化を共有しているはずなのに、「いったい何のことを話しているのかよく理解できない」

多分誰もそれを理解はできないでしょう。そしてそれがよけい辛さを増しているのでしょう。

時間が解決してくれる部分は確かにあるとは思います。でも、それだけではない部分はやはりあります。

そして辛いからといって、元いた国に戻ってみても、今度は以前の景色が以前とは違って見えるあなたがそこにいるかもしれません。おそらくその時の方が、きっと何倍も辛いでしょう。
この地上で自分の居場所はどこにもない、そういう気持ちに襲われるかもしれません。

僕は今から4年前に帰国しました。だから貴方の気持ちがよくわかるんだよ、とはもちろん言えません。そういうのは一人一人違うものです。

ただ、気持ちの整理についてのことではなく、実際の行動についてならその経験を語ることは少しはできます。

まず、道路を横断する時には意識して、右を見て渡って下さい。僕達は無意識に車の来る向きを違えていますから、よく意識して渡ってください。
「ここは日本なんだ」
体が覚えている行動をする時には、努めてそう確認して、そして一呼吸入れましょう。

そして、とにかくゴハンをしっかり食べて、よく眠りましょう。
そのうち気の合う人を見つけることができたら時々おしゃべりしてください。
見つからない時は、カフェに出掛け、美術館に出掛け、本屋に出掛けましょう。
目の前のものに、目の前の人に、意識を集中してみましょう。

あなたには他の人にない経験と感性が身についているのです。自信を持ちましょう。

そして笑えるようになったら、元いた国に出掛けてみましょう。景色が、以前よりもっとよく見えるはずです。

posted by 海外ロングステイ相談室 at 18:01 | ホノルル ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | ○逆ホームシック

2008年07月07日

1776年7月4日

テレビの画面から、前置きなく昔見慣れた景色が飛び込む。

同時に寂しさに似た感情が腹の底からこみ上げてくる。
やがて時間を置いて鈍く鼻先が熱くなるのを感じる。

油断していた。

2週間ぶりの休日の前日、ビールと新作DVDで明日の休暇の前祝をしていたところだった。

緊張を一気に解き、映画の内容に入り込んだ矢先だった。

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その風景に不意をつかれた。
それからどう沸き起こったか知れないその感情にしばし戸惑った。


「懐かしい」、その感情が「寂しい」という感情を掻き出すことは十分理解できる。
誰にでも時々あることだ。

しかし「懐かしい」その感情はやがて風化していく。
そしてそのことを感情として理解した時、そこには寂しさと同時に、恐怖にも似た感情が入り混じる、そういう新たな感情が生まれてくる。

人は忘れてしまう。
しかし感情の忘却は記憶の忘却のいつもほんの少しその後方にある。
記憶はぼんやりと曖昧になってきても、その感情だけはまだしっかり残っていたりする。
ふとこみ上げた感情はまだリアルだ。でも残念ながら当時の情景の記憶は曖昧でぼんやりとしてきている。
だからいずれはこの寂しく切ないと想うこの感情も、いつかは別の感情へと変わっていくのだろう。
そのことがもっと寂しくもっと切ない。


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1776年7月4日、アメリカ独立宣言。

この時はよく考えたらまだ戦争の真っ最中だ。
しかしアメリカではこの日が最も重要な日とされている。
開戦日でもなく終戦日でもなく、宣言したこの日がもっとも重要とされていることがアメリカらしいと思う。

この意思あればこそ、この結果となったのだ。

意思が事実を作るのだ。

そういう清さみたいなものを感じる。


76という全米で最も有名なガソリンスタンドがある。真っ赤な丸に紺地のロゴマーク、すっかりおなじみの景色だ。76、この由来はこの年1776から来ている。
こういうシンプルなネーミング、これこそアメリカらしい。

遅ればせながら、、、、。
とりあえずジュライフォースに乾杯しよう。


タグ:4th of July
posted by 海外ロングステイ相談室 at 22:06 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○逆ホームシック

2008年08月18日

切ない場所 ― 慢性逆ホームシック症候群

日本を離れ7年が経ち、でもいまだにこの街に恋焦がれ憧れている。
恋しい気持ちはまったく薄れることはない。 

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街並み、人、空気、、その全てが素敵だ。街を歩き、この街の一部になることが誇らしく、嬉しい。

休日にはノースビーチのカフェでドピオを飲みながら本でも読んで過ごす。
景色と人の声が心地よい。

長い休暇が取れたら、ルート5をドライブし、サンタモニカまで行ってみようか。時速90マイルで走ってもちっとも動かぬ景色を7時間。
はたまた空の旅を一時間、オレンジに灯る夜景。
どちらもやっぱりアメリカらしい。



もし日本に帰国したら、私はひどく塞ぎこむのだろう。

この街が恋しくて愛しくて、帰りたくて帰りたくてたまらなくなるのだろう。

狂ってしまうかもしれない、、、。

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分かってはいた。でもやはり、帰国することになった。

帰らなくてならない事情がいくつか重なってしまった。

選択肢はなかったのだ。
 


白く灯る夜景が広がる。
多色彩のビル群を過ぎる。
もうアメリカに帰ることはできない。

この景色が現実なのだ。

この現実、好むと好まざるとに関わらず受け止めなくてはならない。

生きていくためだ。

私は強くない。
ただ狂わないことで精一杯だ。


景色を見ているだけで、日本語を聞いているだけで、やりきれなくなる時もある。

耳を目を覆い隠したい時がある。

そんな時には、この景色の中、人々の声の中、湿った空気の中、ひたすら目的もなく歩く。

景色を通り過ぎ、音をすり抜けて、ぐんぐん歩くのだ。
 とことん歩き、疲れ、立ち止まり、そこの景色を見る。そこの音を聞く。

もうどこへもいけないのだ、そのことを改めて確認する。


もう帰れない。

だから生まれたこの国で生きていくしかないのだ。
 
再びその街を訪れるまで、強く生きていくしかないのだ。

再び、、、、?
 

何を言っているのだ。
またいつかそこに戻れると思っているのか。
 
私は一度その場所を捨てたのだ。 
海の向う、もうそこに私の場所はないのだ。

たとえ再びその場所に戻れたとして、そこはもう私の暮したあの場所ではない、そんなことくらいわかっているだろう?



ときどき胸に鈍いものがこみ上げてくる。
恋しくてたまらない。
そして寂しくてたまらない。

私は大切なものを失ってしまったのだ。

もう二度と戻れないのだ。
 


だから、しっかり覚えていようと思う。
 
せめてこの記憶を失わないようにしたいと思う。 

時々この記憶が悪さしどこかを刺激し、たまらなく寂しく切なくなる時があるけれど、この記憶を無くしてしまうことに比べればそんなんことは大したことではないのだ。

この記憶が薄れていくこと、そのことがもっともっと寂しく切ないことなのだ。


大切な思い出なのだ。


今では切ない想い出だけれど、確かに幸せだったから、あの時。

だからその思い出を大切にしたいと思う。
   
posted by 海外ロングステイ相談室 at 20:44 | ホノルル ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ○逆ホームシック

2012年02月06日

カリフォルニアからハワイ島へ

あと数ヶ月経つと、僕が日本に帰国してから丸10年になる。 

あっという間だったのか、いやいや意外と長かったのか、どちらとも言い得ない。 

改めて思い返すと、この10年いろいろなことがあったような気もするのだが、でももしかしたら、ただ時間だけが過ぎていった10年だったようにも感じる。 

確かに言える事は、今カリフォルニアは遠くに感じている、、、ということだ。  



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長く暮らしたカリフォルニアは、20歳過ぎに3ヶ月のアメリカ旅行でニューヨークからカリフォルニアへ貧乏横断旅行をして決めた地で、何としてもまた直ぐに再び行きたくて行きたくて、何としてもそこに住みたくて住みたくて、横断旅行の後帰国し即肉体労働をしお金を貯め、そしてもっとも安くに最も長期で取れる方法を探し何とかビザを取り、片道チケットでカリフォルニアへ渡り、張り紙とか噂話を頼りに仕事を見つけアパートメントを探し、そして何とかカンとか日々暮らしながら、途中ビザのこと、仕事のこと、住居のこと、もちろん毎日お金のことなんかの問題で、また振り出し戻ったり、もっと振り出し以下になったり、、、日々その繰り返しをしながらもますます好きになるカリフォルニアにしがみついて暮らした。

何が無くても、ただその土地で、そこで暮らしていることだけでも毎日が嬉しく、ノースビーチのカフェローマからドピオを飲みながらの喧騒と匂いと眺め、パシフィックハイツのフィルモア通りの天辺からマリーナを見下ろす坂道に、そこにただ立っているだけ、そんなごくごく普通の毎日の行動で触れるもの、感じるものが、ただ自分がその街の一部として存在していられるだけで120%幸せだった。

片道チケットでカリフォルニアへやって来て以来何年も帰国せず、そうしているうちに日々の習慣や行動も変化してきて、そのうち自分は一生アメリカで暮らすのだろうな、と確信しだし、でもそんなときにはふとビザとお金の問題で長く帰っていない日本への想いをふと募らせたり、それでもやはり今このカリフォルニアの地で出会った人たちとの関係、触れる文化、匂い、音、目に入る景色の美しさ、、、毎日が慣れない英語と仕事との格闘だったけど、今このとき仕事があり、拙くても英語を話せる相手がいる、そういう幸せをじっと感じざるを得なかった。  

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あの9.11の影響が、僕の帰国のきっかけにもなった。

もちろんそれは最終的に他の問題がいくつかからみあった結果ではあるのだけれど、でもやはり最後にこの事件が他の選択肢を極端に制限し、そして強く背中を押すことになったことは確かだった。  


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2002年の春僕は日本に帰国した。日本では日韓ワールドカップで大盛り上がりの頃だったと思う。

20代半ばの若者として渡米した僕は、この時30代後半になっていて、さてここから慣れない久しぶりの日本での再出発が始まった。 

情けないことに半年間ほどしか暮らせる貯金しかもっていなかったので、東京の郊外に安さだけを希望条件にまずアパートメントを見つけ、そして最寄の役所に海外からの転入届けを出した。

その後失効となっていた日本の運転免許を取り直し、幸い仕事だけはカリフォルニアでの最後の職場の先輩から紹介してもらった名の知れた新宿の一流ホテルへもぐりこむことができた。
 

生活面では案の定、浦島太郎となった。

道路の横断がまず怖い、いつの間にか車は左から来るものと身体が勝手に認識していたので、いつも意識して右を見てから横断する必要があった。
だから酒を飲んだときなどは、時にひやっとした経験はしばらく続いた。

見慣れない古本のチェーン店に入ると、店員のいらっしゃいませーの合唱と輪唱が、とても不快に感じた。

バスに乗るときに、他人を先に乗せようとすると、結局一番最後に乗る羽目にいつもなった。

食事をしての会計時に、さて、どうしたものか、と少しもたつき、ようやくレシートを持ってレジへ行くことを意識してやった。

レストランでのパンが有料で、しかもわざわざおしゃれな入れ物に、なぜかたった一口か二口でなくなってしまうほどの量しか入っていなくて驚いた。

ワインを注文するとソムリエに日本流の発音で訂正された。

「オールワンでお願いします!」という和製英語の意味がわからず、職場での意思の疎通にも戸惑った。 


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帰国して僕はその年に始めて日本の携帯電話を手にした。

それまでアメリカで使っていたのは通話だけしか出来ないタイプのものだったので、Eメール機能が付いていてとても驚いた。

僕がアメリカへ渡った頃はまだパソコンは一般的なものではなく、だから日本との連絡は手紙か電話しかなかった。

そして数年のうちには手紙はまず書かなくなり、引越しは頻繁だったので、相当数の日本での昔の知り合いとは以来疎遠となった。

でももちろんそれだけが原因ではない。

長いアメリカ生活は僕をはっきりと変えたのだろうし、そして日本での旧友たちも当然あの時の若者では皆なくなっていて、それぞれに社会で責任ある立場の大人へと変っていて、それぞれをとりまく環境や情況や感じ方が変っていき、それにより付き合う交友関係も変っていく、きっとそういうものなのだろう。
 


ともかく日本に帰国しての僕の人間関係のほとんどはまた一からとなった。

もともとが交友を広く求めるタイプの人間ではなく、どちらかというと単独で行動することを常とする性質があるので、寂しくはあるけど、耐えることには慣れていた。 

ただ時折くる、ジワリとした苦い想い、、、、、それはふと街中で英語が聞こえた時とか、映画で知った風景が映った時とか、そういう時に、帰りたいなあ、と念じて、その後に、もう諦めなさい、ともう一度言い聞かせ、そして何か他に気を紛らわせれるものをともかく必死で探す毎日だった。

景色以上に「匂い」は唐突で、突然鼻腔をやられ、苦しくなった。

当時アメリカでかいだ匂い、向こうでしかなかった匂い、具体的な場所や光景は思い出せないのに、しっかりとその匂いのことだけは覚えている。
古い家のペンキの匂いとか、倉庫の匂いとか、でも気候の違いなのか日本ではなかなかない匂い、でもそういうのが突然くるともうやられる。

後年ハワイへ仕事で行って、カリフォルニアでかいだ匂いのある空気の中にふと入り、いきなりやられた。。。。
でもそのときにはそこはやはり米国ハワイなので、寂しいではなく、懐かしいという嬉しい気持ちが先に来る。
  


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カリフォルニアでの職場の先輩に紹介してもらったホテルは一年を待たずに辞めた。

何としてもやはり「海外」に、できればアメリカに、少しでも近づく仕事がしたいと思った。

数ヶ月アルバイトでつなぎながら、宛てもなく、あるかないかもわからないけど、ともかくそういう職だけを探した。


そうしてようやくに見つけたのはハワイのロングステイを斡旋する会社だった。

日本でのサラリーマン経験もないまま既に30代後半になっていた僕だったけど、面接に行くときには必ずここに受かるだろうという確信を既に持っていた。

ほぼ根拠の無いただのはったり、ふてぶてしい自信というヤツだ。

海外へ行きたい人のサポート、、これはまさに僕の仕事ではないか、とその瞬間に何の疑いもなく、これは僕の仕事だ、そう信じて微塵も疑うこともなかった。 

結局スルリとその会社に入り、そしてその後今から5年前からは一人で、個人事業主となりこのハワイのロングステイの仕事を結局ずっとしている。 




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ハワイの他依頼されれば、アラスカもラスベガスも、テキサスだってする。

要するに、外国に関すること、日本に暮らす日本人のための外国(ただ僕は外国語は英語しか解さないので、そして何よりアメリカでのサバイバル生活体験に寄るものが多いので、やはりアメリカでの仕事が多くなりますが、でもアジアもアフリカも中東も、外国ならどこでもやってみたいというのが本音です。)に関することの依頼はほぼ断らずに受けてきているので、単に不動産の売買とか以外に、不登校の子供のための学校とか、法人立ち上げのお手伝いとか、それこそ契約書の読み方や、あるいは各種トラブルの相談とか、もしくはわがままいっぱいのオーダーメードの旅行のこととか、不動産投資のこととか、向こうの弁護士の選択からそのやり取りとか、向こうの役人との折衝とか、ただの運転手としてとか、ガイドとしてとか、現地でのお酒のお供とか(笑)、、、、要は海外のことなら、、、、何でも、、、、、僕が何でも、海外のことなら何でもやりたいのですね。

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やはり少年の頃から海外にあこがれていて、そしてお金を貯めて現実に行って住んで、もっと大好きになり、、、、そういうこともあって、その素晴らしさを、やはり僕と同様に、何だか理由もなく興味を持ってしまう、あこがれてしまう、、、、、でも少し怖い、、、、そんな人たちの少しでも力になることができたら、、、嬉しく思いますし、、、、それにはまず最初の一歩を一緒に踏み出して、その向こうにある、何よりあの言い知れぬ喜びを、是非是非知って、体感して欲しいのですね。  



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10年が経つと、確かにカリフォルニアは遠いです。

もちろん物理的には簡単に行けるけど、でもね、、、、。

なかなかにあの住み慣れたあの街には、やはりまだまだ行きたくもないというのも、、、正直な気持ちです。
(今仕事で時々LAには行くけど、そこから僅か1時間飛行機に乗って北上してあの街へ、、、は、どうしても躊躇してしまいます。)
ここまで月日が経ってしまうと余計、、、、うーん、、、、きっと行ってももう昔の面影がなくなっている場所の方が多いだろうし、何よりそこは自分が必死に生きた青春の場所なだけに、それだけ強い感情がある場所なだけに、、、、だからもし今行ってその景色を見て、あの強い感情がすーと消え、もしただ冷静に客観的にあるがままに受け入れることができてしまったら、、、、正直まだそれはいらない、、、、まだまだそれは少し寂しいのです。 


ほんの数年前までは時々東京の街で、何かのきっかけで、突然ぐっとこみ上げてきて、泣きたくなるような感情があったはずなのに、それが今はほぼ無くなっていて、、、そのときはこみ上げたものに寂しさと望郷とそういう気持ちで辛かったのですが、、今となるとそういう感情が消えていくというのは、それはそれで寂しいもののようにも感じています。


ただ我々は今こうして生きているわけで、生きているというのは、やはり忘れることと出会うことの繰り返しなわけで、、、、そう改めて思うと、今日という日の大切さを改めて思うし、今この時というこのかけがえの無い一瞬を、さてどうやって生きてやろう、と改めて思わざるを得ません。   

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ハワイのロングステイ、帰国してこの10年。

幸運にも僕はこの素敵な仕事に巡り会うことができ、その仕事を通じて、素晴らしき人たちに巡り会うことができている、やはりそのことに感謝です。 


海外、、、。うーん、やっぱりたまらない! 


思えば僕は自分の人生の大半を「海外」ということにずっと関わっているけど、、、、いまだにますますに、わくわくは尽きないし、ますますに、うきうきしてきます。 

あの景色、あの人たち、あの食べ物、あの気候、あの匂い、あの空気感、、、、あーもうたまりません。 


さあまたあの天国に行くために、さあ今日もはりきって仕事しまーす。


追伸:
ハワイの仕事をするうちに、ビジネスの面でも王道のホノルルから、、、、、、、、、、結果スコーンと惹かれたのが、ハワイ島。
それも豪華なリゾートのサウスコハラではなく、間逆のハワイ島東側のヒロ地区、プナ地区、、、。
こここそハワイ!これぞハワイ!スコーンと落とされました。
マウイに行ってカリフォルニアの面影を感じ、ホノルルで王道の気楽さ気安さ便利さを楽しみ、でもやはりハワイなら、おもいっきりリアルなハワイを、、、ハワイのプナ地区とかカウ地区が、、、うーん、たまりません!
でも会社に勤めていたときのようにそのまま独立後もホノルルをメインやっていればもう少しビジネスも上げ上げだったのでしょうが、、、、如何せん「好き」という感情にはどうも背けない性格のようで、、、、。


マハロ&アフイホウ 
笹本正明
@海外ロングステイ相談室
http://hawaii-consultant.com/


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posted by 海外ロングステイ相談室 at 10:05 | ホノルル ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | ○逆ホームシック